Vampire, Sweetheart

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7


埃の舞う屋根裏に小さな明かりが灯る。
ミッターマイヤーは古びた木箱から先祖の遺品を取り出しては、一つ一つ吟味していった。


ロイエンタール邸への招待が決まってからというもの、彼は暇を見ては軍のデータにアクセスし、旧い記録を漁っていた。
しかし、政治畑に転身してからはともかく、軍籍にあった頃のミッターマイヤー元帥の記録はろくに残っていなかった。
最初は平民出身だからあまり記録が残されていないのかとも思ったが、あまりにおざなりである。
他にも平民出身の将軍が数人いるが、彼らの功績はそれなりにきちんと保管されているのだ。
若者らしい憧憬で祖先の英雄譚を期待していたミッターマイヤーにとって、その武勲が何も語られないのは肩すかしであると同時に、大きな謎でもあった。

200年前、祖先はいったいどうやって階級の壁を乗り越えたのだろう……しばし木箱の中身をかき回す手を止めて考えてみる。
同盟との戦争は、まだ始まっていなかった。
となると、当時頻発していたという地方貴族の反乱の鎮圧ぐらいしか、軍人にとって功を立てる機会はない。
先祖のミッターマイヤー元帥に関しても、小規模な反乱を鎮圧したという記録はいくつかあった。
だが、どれも一個小隊で澄むようなレベルで、その程度の手柄で軍のトップにまで上り詰めたとは考えにくい。
家柄もコネもないはずの先祖は、よほど華々しい何かがなければ、元帥、ひいては国務尚書に取り立てられるはずがないのだ。
「疾風ウォルフ」としてその戦術が士官学校の教本に引用されているぐらいなのだから、軍人としての実力はあったはずである。
わずかに伝わる人柄も清廉で真っすぐであったという話ばかりだから、派閥争いや何かの政治的事情に乗じて昇進したとは考えにくい。
それとも彼には、誰にも知られていない秘密の顔でもあったというのだろうか。
この無骨な家系にそのように立ち回れる人物が生まれたとは信じ難いが、何らかの力学が働いてミッターマイヤーが平民初の元帥となりえたのには違いないのだ。


床にあぐらをかいて座り込み、先祖のアルバムをめくりながら、ミッターマイヤーは公的な記録に残らない何かを探しだそうとした。
しかし、もの言わぬ遺品たちからは、何も感じ取る事はできなかった。
幼い頃に見た覚えのある公式の写真、古びた勲章の数々、黄ばみかけている妻や友人への手紙類………。
政治家に転身してからのミッターマイヤー元帥が部下たちや同僚から受け取った手紙は、どれも親愛に満ちあふれていた。
愛され信頼された人だったというのがよくわかる。

だが、ミッターマイヤーが一番知りたかった20代の頃のものは、あまり残っていなかった。
元帥から、妻や家族に宛てたものは、ほんのわずかだし、友人からの私信の類いもない。
数百光年は離れた星系に遠征していて、当時は今と比べて通信網が発達していたわけではなかろうに、若き日のミッターマイヤー元帥はあまり筆まめではなかったのだろうか。
数点残された若い妻に対する手紙は、どれも事務的な内容ばかりだった。
短くても妻への労いや愛情は垣間見えたが、ミッターマイヤー元帥といえば愛妻家として一族では有名である。
普通はもっと細かく近況を知らせるだろうに、結婚したばかりで家に一人置いてきた若い妻が心配ではなかったのだろうか。

だが、ミッターマイヤーはそこにいくつかの発見をした。
灯りを引き寄せて内容を読んでみると「以前に手紙に書いたように」「前回の手紙では」というような文言が何度か出てくるのだ。
しかし、その「以前の手紙」はいくら探しても見つからなかった
それで合点がいったが、必ずしも全ての手紙を保管してあるわけではないのだ。
あまりに私的な事が書いてある手紙は、後世に残さず処分したのであろうか。
おそらくそこには、元帥の遠征先や軍での暮らしが、もっと詳細に述べられていたいに違いない。
その部分にこそ、知りたかった謎を解き明かしてくれたかもしれないと思うと、ミッターマイヤーは軽く舌打ちをした。


写真も、穏やかな30代以降のものは多いが、若い頃の軍隊時代のものは少なかった。
まだ、少年時代や士官学校時代のものの方が多いくらいだ。
宇宙を飛び回っていた軍時代には、おちおち写真に収まる時間もなかったに違いない。
だからこそ、ロイエンタール邸で撮られたあのソリヴィジョンが貴重なものなのだが。

時間を忘れてアルバムをめくっていたミッターマイヤーは、ふと最初の方のページの一連の写真に目を留めた。
士官学校時代の少年めいた顔つきのミッターマイヤー元帥と、両親と、小さな少女。
一見すると両親と兄と妹の普通の家族写真だ。
だが、この温かな家族の中心で微笑んでいる幼い少女が、12歳で孤児となりミッターマイヤー家に引き取られたエヴァンゼリンなのだ。
言われなければ、誰も少女が他人とは気づかないほど自然な、家族のポートレート。
クリーム色の髪とすみれ色の瞳は、明日家に来る予定のエヴァンゼリンの少女時代の面影とどこか重なる。
血のつながりはないはずなのに。
そういえばあの子が生まれた時、すみれ色の瞳を見た母方の家族が、エヴァンゼリンのようだと言って名付けたのだと聞いたことがある。
そう思うとあの子も案外この家と縁があるのかもしれない。

不意に、ミッターマイヤーは、古びた写真の中で砂糖菓子のように微笑む少女が、たまらなく愛おしくなった。

この写真のエヴァンゼリンには、引き取ってくれる金持ちの奥様はいなかったのだ。
彼女の笑顔の陰には、12才で家も家族も失い孤児となった、つらく厳しい経験がある。
慣れない家に引き取られ、知らぬ者ばかりの土地で心細さに小さくなる少女の様子が瞼に浮かぶようだ。
それでも、笑顔を絶やさず健気に溶け込もうと努めた結果が、この笑顔なのだ。
少女はミッターマイヤー家に来て、きっとこの微笑み通りに幸せな日々を過ごしたと信じたい。
平民宰相の妻として、一族の偉大な母として、この女性の苦労が報われた事を、ミッターマイヤーは心から嬉しく思った。



夜も更けてきたので、ロイエンタール邸に持って行くつもりの写真をいくつか選びだした。
一番気に入っているのは、元帥が将官に任官した頃の写真だ。
今ではほとんど見かけなくなった、フィルム式のカメラで印画紙に撮影されているのが、何とも趣きがある。
どこか辺境の星に、まだこんなフィルム式の写真を扱っている写真館が残っているのだろうか。
深い緋色の紗幕を背景に、真新しい軍服を来た小柄で初々しい士官が、少ししゃちほこばって背筋を伸ばしている。
肩章はラインの入った将官のものなのに、着用しているのは紅顔の少年のような面立ちで、思わず微笑ましくなる一枚だ。

おもしろいのは、この写真が縦に分割された細長いものであることだ。
元帥の隣に、別の誰かが映っている。
肩のあたりに、別の人間の軍服の袖が写りこんでいるのだ。
ミッターマイヤーより大分背の高い人物だろう、といってもほとんどの帝国軍人がこの小柄な将官よりは背が高いだろう。
おそらく、任官の際に友人と一緒に記念撮影をして、おのおの自分の部分だけ切って分けたに違いない。
まだあまり金がなかった時代の若い士官たちの行動であろう。
しかし、完全な写真でないのは惜しい。
隣に映っている人間が誰であるかわかるだけで、今は霧の中の祖先の当時の交友関係がいくらかでも判明したかもしれないのだ。

ロイエンタール邸には、何か旧い記録が残っているのだろうか。
あのソリヴィジョンに映る、気を許したような素顔のミッターマイヤー元帥が見つかるのだろうか。
この週末、わずかでもいい、自分のルーツを知る事ができればいい。




木箱を片付けたミッターマイヤーは、静まりかえった家の階段をそっと降り、キッチンで就寝前の水を一杯飲んだ。
暗がりのキッチンの窓から星が見える。
明日の天気でも確認しようと、星明かりのなか居間に移動してテレビのスイッチを入れた。

瞬間、ミッターマイヤーは、びくんと飛び上がりそうになった。

彼は、テレビに映っている男を凝視した。
黒いタキシードに黒いマントの紳士。
艶やかなダークブラウンの髪、そして深い青い瞳……だが顔半分は影になっていて、片方の目は闇のように黒く見える。
どこかで、見覚えがあるとミッターマイヤーは思った。
月の光、むせるような薔薇の香り。
これは、そう、まるであの夜の………。

オスカー・フォン・ロイエンタール……?

馬鹿な、と瞬きをして目を凝らすと、次の瞬間、画面は切り替わった。
コメンテーターが、帝都の最新情報を伝える。
さっきまで画面を占拠していた紳士は、古い映画のポスターの中の人物だった。
リバイバルした映画の話題をニュースで取り上げていたのだ。

……この映画、若者を中心に口コミで広がって……今ではフォロワーも大勢……。

最少の音量にしてあるので切れ切れに耳に入って来る言葉を繋ぎ合わせると、どうやら「吸血鬼」モノの映画が、一部でヒットしているらしい。
もう一度ポスターが画面に映るが、よく見ると黒尽くめの服と髪の色が似ているだけで、ロイエンタールとは顔つきが違っていた。
(不健康そうなメイクをした俳優よりも、ロイエンタールの方がいい男だとミッターマイヤーは思ってしまった)
バンパイアが後ろから乙女を抱き寄せ、首筋に歯を立てているおなじみのポーズのスチールも写された。
淡い黄色の髪の乙女は恐怖に目を見開きながらも、その顔はどこか恍惚の表情が浮かび、白い喉を晒している。

こんなものが流行しだしたきっかけは、数ヶ月前、トランシルバニア地区で、体の血を全て抜かれた山羊の死骸が見つかるという不気味なニュースからだった。
それが一部のマニア層の間で話題となり、いつの間にかオーディンに夜な夜な吸血鬼が現れ処女の生き血を吸う、という、荒唐無稽なネタに発展したというのだ。
最近は、吸血鬼を扱ったゴシック映画がリバイバルしたり、トランシルバニア地区への観光客が増加したり、ゴシックホラー愛好家たちの間でバンパイアのコスプレパーティーが開かれたりしている、という他愛のないニュースだった。
珍妙な化粧でバンパイアや便乗したような他のモンスターに扮するコスプレイヤーたちがカメラに向かってポーズを決めると、ニュースは次の話題へと移り変わって行った。



その晩、ミッターマイヤーは夢を見た。
少年時代に過ごしたベッドに入ると、窓から大きく輝く月が見えた。
誰かが、ミッターマイヤーを見下ろしている。
ミッターマイヤーには、とっくにその正体がわかっていた。
目を開ければ、黒尽くめの美しい男が月明かりに浮かび上がるに違いない。
その瞳は、宝石のような青と黒のふたいろだ。
寝る前にお日様の匂いがしていた少年期の部屋を、甘い薔薇の香りが呑み込んで行く。
他人の息遣いを感じ、ひやりと冷たい何かが首筋に当たる。
それは唇なのか、それともナイフなのか、首筋を仰け反らせると、男は追いかけるように顔を埋めてくる。
長い指が体中を這い回り、やがてその指が、明確な意志を持って体に触れて来る。
肌が粟立つ、息が熱くなる。
薔薇の香りに頭の芯が甘く痺れ、ミッターマイヤーは男のなすがままになった。

……これは、夢だ。

あの屋敷で経験した時は、夢かうつつかわからなかった。
いや、夢とは思えない生々しい感触があったのだ。
けれど、今はこれは夢だと気づいている。
全てがつくりごとなのだ。
怯えながらうっとりとした顔で喉を晒していた乙女……きっと自分もあんな顔をしているに違いない。
夢の中でミッターマイヤーは、もがき続けた。
男の指が下腹部に触れると、遠くで誰かの声が聞こえた気がした。
それが自分の声だと気づく頃、彼は深い眠りに落ちていた。


目が醒めると、朝日が爽やかに射し込んでいた。
夢は鮮明に覚えていたし、思い返せば深い自己嫌悪に陥り、頭から毛布をかぶってしばらくじっとうずくまる。
寝る前に、あんな映像を見てしまったせいなのだろうか。
早く忘れてしまいたい。
どうせなら、すみれ色の瞳の少女の夢でも見たかった。
せっかくの寝覚めを、ミッターマイヤーは落ち着かない気分でもぞもぞと寝返りをうった。

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