Vampire, Sweetheart

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6


ロイエンタールの家に招待を受けた事は、元帥府の中にいつの間にか広まっていた。
同僚からの週末の誘いを断るのに、ミッターマイヤーは隠す事なく先約がある事を告げたからだ。

先日まであまりウマが合わないように見えた二人が週末を共にするというのに、意外な事に、同僚たちに、誰ひとり不思議と感づる者はいなかった。

「ロイエンタールの奴は、以前から卿のことだけは妙に認めているからな」
同僚の一人であるビッテンフェルトは、あっさりと言い放った。
「認めている?まさか?」
ミッターマイヤーこそ驚く番だった。
あの晩、飲みに行って酔いつぶれてしまうという不測の事態が起きるまでは、ロイエンタールは自分の事などまるで目にも止まっていないような態度だったのだ。

「なんだ、卿は気づいていないのか」
同僚たちが口々に言うには、周りと距離を置き他者は相手にしないという態度を崩さないロイエンタールだが、会議の席などでミッターマイヤーの言にだけは異を唱えることなく、じっと聞いているのだという。
「それだけか」
「いやいや、これは大きいぞ、あの皮肉屋でお高く止まった男が、卿の力量にだけは無条件で信頼を置いているということだ」
「信頼ねえ……」
今までを思うととても信頼されているとは言い難いが、鋭い舌鋒と博識で冷然と他人を論破するロイエンタールが、確かに自分に反論してきたことはなかったような気がする。
だが、それは無関心の裏返しのようにも取れる。

「それに、どういうわけかな、卿ら二人は一緒にいるのが自然に見えるというか……」
「……どこが!」
「どことは言えぬが並んでいるのが似合いに見えるのだ」
聞けば、下士官の間には二人を「ローエングラム幕僚の双璧」と呼ぶ者もいるという。

貴族階級、若くして広大な領地を切り盛りし王族にも負けぬ優雅な生活を送っているロイエンタールと、平民階級でしがない官舎で慎ましく暮らす自分、これほど縁遠い組合せはあるまい。
それが双璧などと並び称されていると知り、ミッターマイヤーは思わず耳たぶまで赤くした。
ロイエンタールの事を良く知りもしないというのに、話が妙に大きくなっている。
しかし、ロイエンタールと並べられている事に、悪い気はしない自分に気がついてもいた。
あまり不確かなものは信じないミッターマイヤーであるが、これは先祖同士の縁が呼び寄せたものかもしれない、と運命論めいた事まで考えた。



この招待は、思わぬところまで波紋を広げた。
帝国一の美貌と歌われる人気女優が、ロイエンタール提督から週末の約束をキャンセルされたと騒ぎ立てたのだ。
女優はロイエンタールが他の女に心変わりをしたと勘違いし問いつめたようとしたが、ロイエンタールは無言のまま連絡を断ったため、相手の女をいぶり出してやると半狂乱になったらしい。
女優のパトロンや取り巻きの男たちも巻き込み、この件は一時はオーディンの社交界を揺るがす大スキャンダルに発展するかと思われた。
いかに当代一の色男だろうと、彼女を邪険にする事は許さぬと、男達の間でロイエンタールに決闘を申し込もうとする計画まであったそうだ。
だが、ロイエンタールが約束した相手がミッターマイヤーとわかると、騒動は自然に収束していった。
華やかな三角関係のスキャンダルを望んでいた者たちは、完全に肩すかしを喰らわされたのだ。

間が抜けた事に、当のミッターマイヤーは、この一連の騒動が終わりかける頃に、同僚から聞かされた。
彼は社交界にも下世話な噂にも疎かったのだ。
艶っぽい話に巻き込まれていたと知った彼は、慌ててロイエンタールを探し出し、こちらの約束の延期を申し入れた。
しかし、ロイエンタールは涼しい顔で「なに、あの女はもう飽きたから、よい潮時だったのだ」と取り合わなかった。
「それでは相手が気の毒ではないか、一度会ってきちんと……」
「これは俺の問題だ。卿には関係ない」
声色一つ替えずこちらを見もしないその様子は、それ以上立ち入る事を拒んでいる。
ミッターマイヤーは何も言えなかった。

どれだけ美しい女でも飽きたら一方的に捨てる、という噂は聞いてはいたが、何の惜しげもなく人も羨む有名女優を捨ててしまうロイエンタールを目の当たりにすると、どこか圧倒される。
誰からどんな評判を立てられようと無関心でいられるのは、ロイエンタールが周囲を何とも思っていないからだ。
誰から嫌われようと、彼には痛くも何ともないのだ。
彼は強い。
冷然と他者を受け付けない巌のような硬質さはいっそ潔いと思う。
陰口を叩いている連中も、そんなロイエンタールの強さにどこかで憧憬を抱いているようなふしもある。

だがミッターマイヤーは、自分はそこまで他人を突き放す事はできないと思う。
徐々に打ち解けているとはいえ、彼と自分はやはり根本的に性質を異にするものだと、漠然と思わずにはいられない。




金曜日の夜、ミッターマイヤーは実家へと戻った。
翌日のロイエンタールの招待に向け、何か当時の事を知る手がかりになるものが屋根裏に眠っていないか調べるためである。

久々に食卓を囲む息子のために、母親は心づくしの食事を用意してくれた。
「今夜は泊まっていくんだろうな?」
向かいの席に座り息子のグラスにワインを継ぐ父親は、まだまだ老け込んではいない。
年齢より若く見えるのは、ミッターマイヤー家の血筋だろう。
一人息子が士官学校入学と同時に家を出てからも、抱えの職人や近所の人たちの出入りが多く、両親ともあまり淋しさを感じていないようだ。

「そうだ、明日、エヴァンゼリンが来る事になってるのよ」
シチューを盛りつけながら、母親が言う。
「久しぶりに会うけど、ずいぶん大きくなってるでしょうね。お前も一度挨拶ぐらいすればいいのに」
「悪いけどこっちも前から予定が決まってるからね」
エヴァと会えないのは、ミッターマイヤーとしてもほんのちょっぴり心残りである。


エヴァンゼリンは、母方の遠縁の少女だが、ミッターマイヤーは直接会った事はない。
数年前、確か彼女が12歳の頃だったか、戦災孤児となり、ミッターマイヤー家で引き取るという話が出たことがあった。
だが、ある富裕な商人の若奥方が、避難所に慰問に行った際にそこに逃げ込んでいたエヴァの事をたいそう気に入り、話し相手兼身の回りの世話係として引き取りたいと申し出て来たのだ。
ミッターマイヤー家としては、まだ12の少女を何も小間使い替わりにさせられ苦労を背負い込む事はないと、一度は引き取ろうとした。
しかし、その若奥方はなかなか譲らず、是非にと懇願してきた。
その家には生まれたばかりの男児が一人いるが、貴族社会の真似事をして乳母に育てさせているため、奥方は大邸宅で一人気鬱な日々を過ごしているらしい。
貴族にも引けをとらぬほどの裕福な家からエヴァを娘同様に育てるからと頼みこまれ、またエヴァ自身も奥様にお世話になったので、とそちらの家に行く事を選んだ。
ミッターマイヤー家に迷惑をかけたくないという幼い少女なりの心遣いだったのかもしれない。
まだミッターマイヤーが士官学校にいる間の出来事だった。

今では彼女も20歳近くなっているらしい。
今度この家を訪れるのは、身の振り方を相談するという目的のためだ。
引き取り先の家で、正式にエヴァを養女に迎えたいというのだ。

「とてもいいお話なんだけど、養女になったらそちらと格式の合う家の相手を見つけて婚約させるなんて話も出ていて、それでエヴァも悩んでいるらしいわ」
もうそんな年なのねという母親の言葉に、ミッターマイヤーは脳裏に写真で見ただけの少女の顔を思い浮かべた。
写真の中のエヴァは、優しいクリーム色の髪とすみれ色の瞳をして、幸福そうな笑みを浮かべている小さな少女だった。
あのお人形のような幼い少女がどんな風に成長したのか、興味がないわけではない。

エヴァンゼリン……それはミッターマイヤー家にとっては特別な名前だ。
偉大なるウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の妻にして一族の母と言っても過言ではない女性の名前。
自分がウォルフガングの名を頂いたのと同じように、一族にはこれまで何人かエヴァンゼリンの名を持つ女性が存在していた。
遠縁の少女を引き取るかもしれないと両親から聞かされた時、17歳だったミッターマイヤーはこの運命の名を持つまだ見ぬ少女のことを、ほんのちょっぴり意識したものだ。
当時は少年期特有の照れもありそんな小さな少女が家に来ると面倒だなどとうそぶいていたが、何となく期待しなかったと言えば嘘になる。
だが、エヴァが家に来る事はなかった。

大人になった今、好奇心も手伝って、一度はエヴァンゼリンとじかに会ってみたかった。
向こうには婚約の話もあるそうだから、いくら先祖と同名とはいえ、自分とエヴァとは縁がなかったのだろう。
それでもエヴァンゼリンという名の持つ響きは、どこかでミッターマイヤーの中に甘酸っぱい感情を呼び起こす。
叶わなかった初恋を思うように。
そのような女々しい感情を両親に見せる事はしなかったが、だがもし、週末にロイエンタールからの招待がなければ顔が見られたかもしれないと思うと、少し残念に思った。


いつか、いい相手が見つかれば、自分も結婚するのだろうか、とミッターマイヤーはぼんやりと考えた。
どこかに運命の相手がいるのだろうか。
宇宙を飛び回ってばかりでなかなか陸に定住できない軍人は、みな結婚が遅い。
ミッターマイヤー自身も周囲も、女性にはあまり縁のない連中ばかりだ。

ふと、明日会うロイエンタールの事が頭をよぎる。
多くの女性から熱い視線を向けられる男。
惜しげもなく恋人を捨てる男。
今の元帥府で彼ほど女性に不自由していない男はいないだろう。
あのロイエンタールも、いつか決まった女性を選ぶのだろうか。
運命の相手を夢見たりすることはあるのだろうか。

だが次の瞬間、ミッターマイヤーは苦笑を漏らした。
ロイエンタールは、他者を必要としない男なのだ。
そんな甘いロマンチックな事をミッターマイヤーが考えていると知れたら、また小馬鹿にしたような皮肉な笑いを浮かべる事だろう。


そうして家族団らんの夕食を終えたミッターマイヤーは、自らのルーツを探すために屋根裏へと昇って行った。
 
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