Vampire, Sweetheart

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ミッターマイヤーとしては、深夜の安食堂で気軽にビールなど飲みながらというつもりだったが、ロイエンタールは承諾しなかった。

行きつけの店だと案内されたのは、有名な高級クラブである。
それも、貴族階級しか受け入れないと評判の伝統的な店だった。
まさかこんな所に連れてこられると思わなかったミッターマイヤーは、重厚な店内の入り口でたっぷり後悔する事になった。


「好きなものを頼んでくれ」
奥のテーブルに腰を降ろしそう言われても、名前しか知らないような高級酒ばかりが並んでいて、とても味などわかりそうにない。
まごまごしていると、ロイエンタールが勝手に二人分の料理とワインを注文してしまった。
「いいのか……その、俺は持ち合わせが……」
「ここは開店当時からうちの領地のワインを出荷していてな。我が一族はフリーパスなのだ。卿も気にせず好きなものを頼め」
「開店当時?何百年前の話だ」
「200年以上は経っているはずだ」
何やらスケールが違いすぎて、我が身と比較する気にもなれない。
「そうか?ならお言葉に甘えて遠慮しないぞ」
空腹とヤケクソが相まって、ミッターマイヤーは出された料理をガツガツと食べ始めた。
ロイエンタールは朝から一緒に仕事していて、昼に共に軽食をつまんだだけだというのに、ろくに食べもせず、ちびりちびりとワインを飲んでいる。

そうこうするうちに、店のオーナー自らこのテーブルに挨拶に現れ、今年の葡萄の作柄は素晴らしいなどとご機嫌伺いを始めた。
落ち着いて周囲を見てみると、客達がちらちらと羨望の眼差しでこのテーブルを伺っている。
どうやら、短期間ですっかりロイエンタールは、オーディン社交界の有名人になったらしい。
これだけ際だった美貌で物腰も堂々としていれば、嫌でも人目を惹いてしまうだろうが、その過去はどこか謎めいていて、それがご婦人方を夢中ににさせているのだと、同僚達の噂だった。


オスカー・フォン・ロイエンタールはオーディンの生まれではない。
ノヴァ・マグダレナという惑星一帯を支配する領主であるらしい。
領地からは豊かな資源が穫れ、その利益をオーディンで様々な事業に投資してきたため、銀河中の財界でロイエンタール家といえばかなり名の通った存在であった。
だが、歴代の当主は故郷の星を離れる事を嫌い、中央に出てくる事がなかった。
そのため長い間謎に満ちた一族とも言われ、どの代の当主にも、その正体は偏屈な老人だの、実は妻を殺めた過去があるだの、いかにも噂好きが面白がるような伝説が生まれていた。

……と、まあ、ここまでを同僚達の噂で知った。
財界だの社交界だの疎いミッターマイヤーが、名門だろうと他人のお家事情に自ら首をつっこむはずもない。


ところが、その謎の一族の現当主、オスカー・フォン・ロイエンタールが、突如表舞台に現れた。

数ヶ月前、彼は元帥府で重用されだしたローエングラム侯の下に伺候すると、多額の軍資金とともに自らを軍に売り込んだ。
士官学校を出ているわけでもない、それまで軍隊とは無縁であった一地方領主の突然の売り込みに半信半疑であったローエングラム侯だが、金を出してくれるというなら遠慮なくもらっておけという合理性からロイエンタールを旗下に取り立てたのだ。
ほどなくしてローエングラム候は、ロイエンタールという男が軍事的に得難い才を持っている事を見抜いた。
こうしてロイエンタールはミッターマイヤーらと同僚になったわけである。

人材コレクターと言われるローエングラム侯は、様々な場所から部下を集めて来たが、多くは貴族社会で不遇をかこっている平民士官である。
その中にあって、ロイエンタールは異色であった。
地方育ちであるため、誰もその人となりを知らず、最初はただの田舎貴族とたかをくくっている者も多かった。
いずれも腕に覚えのある平民士官たちにとって『金と家柄で軍の階級を買った地方出身の色男』は、反感を覚えずにはいられない存在なのだ。
だが、すぐに彼らもロイエンタールの力を認めざるを得なくなった。
彼の大胆にして理にかない緻密な用兵、戦略を見抜く目の確かさは、ローエングラム侯麾下の誰よりも抜きんでていた。
ミッターマイヤーも自らの艦から、ロイエンタールの指揮ぶりを見学していた舌を巻いた。
いったい、こんな逸材がよく埋もれていたものである。


戦乱に一時的な終止符が打たれ、オーディンに戻ってくると、ミッターマイヤーとロイエンタールはそろって中将に任命された。
もう一人パウル・フォン・オーベルシュタインという軍政畑の男が中将になり、事実上この三人がローエングラム侯麾下の提督達の筆頭という事になった。
3人が揃ってローエングラム侯の前に伺候し、階級を任命された時、ミッターマイヤーは誇らしさとともに、ほんのわずかなわずらわしさを感じたのも事実だ。
ロイエンタールも、オーベルシュタインも、あまり仲良くなれそうもない人物である。
下級とはいえ貴族階級の二人とは育ちが違うし、見るからに陰気なオーベルシュタインに、周囲を侮蔑しているかのような冷ややかさを隠そうともしないロイエンタール。
他人に気を使うのが上手くないミッターマイヤーにとって、どちらも苦手なタイプであった。
平民の同僚達の間では
「同じ職場に机を並べるならロイエンタールとオーベルシュタイン、どちらがマシか」などと早速冗談のネタになった。
結果は五分五分で、ロイエンタールを避けたがる者は「あんな美男子が隣にいては俺がかすんでしまうではないか」と冗談混じりに敗北の弁を述べるのが常であった。
もっとも実際に彼らと机を並べるミッターマイヤーとしては、冗談ではすまされない。
このうちオーベルシュタインは政治的な分野を任されていたためあまり接触はないが、ロイエンタールとはしばらくは顔をつきあわせていなければならないのだ。


最初の予想通り、ロイエンタールはミッターマイヤーに対して無視に近い無関心さを通し、打ち解ける事はなかった。
それでも仕事はおそろしく正確で的確であり、文句のつけようがない。

これまでミッターマイヤーが知っている貴族といえば、ろくでもない者ばかりだった。
家柄と世襲だけで得た地位に綿々としがみつき、将官とは名のみで戦場には一歩も足を踏み入れず、すべて部下任せなんてのも珍しくはない。
ひどいのになると何もしないどころか、まじめに仕事をしようとするミッターマイヤーらを妨害してくる。
そんな連中ばかり巡り会ってきたおかげで、貴族というとどこか警戒していたミッターマイヤーだが、ロイエンタールは、私生活はともかく、こと同僚という立場になってみると、これほどありがたい存在はなかった。
ミッターマイヤーは、意外にもこの冷血な貴族に好感を持ったのだ。
家に呼び合ったり友達にはなれそうもないが、仕事をするには最高のパートナーだ。
もし、打ち解ける事ができたら、たまには酒を酌み交わすぐらいはいいかもしれない。
といっても、ロイエンタールの方にそんな気はさらさらないないようであったが。


他の同僚たちもロイエンタールとのつきあいに踏み込める者はいなかった。
その代わり、ロイエンタールは夜な夜な社交界のパーティーでひっぱりだこになっているらしい。
長らく謎とされてきたロイエンタール家の当主が、若く怜悧な貴公子であったことに、オーディンの社交界、財界は色めきだった。
淑女たちは神秘のダークブラウンの髪と蒼い瞳、苦みばしった男らしい容姿にこぞって引きつけられ、紳士たちは商談をまとめようと必死に取り入ろうとした。
どのパーティーでも注目を一身に集める貴公子は短期間に次々と恋のお相手が替わっているという噂だ。
「なるほど色男はむさ苦しい俺たちと飲むより、ご婦人のお相手の方が楽しいよなあ」
独身の同僚が男ばかりで集まると、必ずロイエンタールへのやっかみやぼやきが一度は出るのだった。



それだけモテるんだから、わざわざ俺たち同僚と仕事が終わってまでつきあう必要もないだろうなあ。
初めて飲む芳醇な香りの高級ワインを味わいながら、ぼんやりとミッターマイヤーは目の前の男を見た。
「どうだ、もう一杯」
「よし、いただこう」
ロイエンタールが継ぎ足すままに、ミッターマイヤーはグラスを重ねた。
これまで栄光ある孤立を守ってきたロイエンタールが、いかなる風の吹き回しか、いきつけの店にミッターマイヤーを連れてきてくれ、あれこれとワインのうんちくを傾けている。
ロイヤルブルーの双眸はあいかわらず冷たい光を放っていたが、職場でのとりつくしまもない状態からは一歩前進したようだ。
酒のせいか意外にもロイエンタールは饒舌で、今手がけている人事や作戦についての深い識見を披露した。
彼と語り合うのが、ミッターマイヤーは楽しかったのである。




自分でも度が過ぎるほど飲んだと後悔したのは後になってからで、その後のミッターマイヤーは意識をなくしていた。
ロイエンタールに抱えられ店を出て、夜の空気が頬に当たると気持ちが良いとかなんとかつぶやいた所までは、薄ぼんやりと覚えている。

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