Vampire, Sweetheart

| | back

1

ウォルフガング・ミッターマイヤーは、ちらりと壁にかかっている時計に目をやった。
時刻は、夜の9時を過ぎている。
目の前では、オスカー・フォン・ロイエンタールが書類をめくりコンピュータのモニターにじっと目をやっている。
二人とも無言で、端末を操作するカタカタという音だけが、殺風景な会議室に響いていた。


「夜も更けてきた。続きは明日にしないか」
いい加減腹も減ってきたミッターマイヤーが声をかけると、ロイエンタールが顔をあげ、両者の目があった。
まるで深海のような深いロイヤルブルーの双眸に引き込まれそうになり、滅多に物怖じしないミッターマイヤーであってもどうも落ち着かなくなった。
瞳だけではない、すらりとした長身、彫刻のようなな美貌、そして中世の騎士を思わせる優雅な挙動、すべてが宮廷の貴婦人達を虜にしていると評判だ。
ロイエンタールはふいと目を逸らすと、無言でコンピュータの電源を落とした。
一日中、書類とにらめっこして疲労困憊しているミッターマイヤーとは対照的に、どこまでも端然と涼しげであった。
まったく、この男は疲れを知らぬ機械のように働く。
誰よりもワーカーホリックを自認していたミッターマイヤーでさえ適わないほどだ。
だが、他の面でつきあいやすい人間とは言えない。


ミッターマイヤーがラインハルト・フォン・ローエングラム侯の麾下に招かれてその陣容に加わってから、かれこれ数ヶ月になる。
ちょうど時を同じくして、このロイエンタールもラインハルトの配下になった。
ところが、顔をあわせて以来、ロイエンタールとはまともに口をきいた事がない。
育ってきた境遇がまるで違うので仕方がないのかもしれないし、私生活まで立ち入るつもりはないのだが、仕事上でも必要最小限の会話しかないのは、少し寂しい。
少したてば打ち解けるのではないかとも思ったが、ロイエンタールは常に冷ややかで距離を置いた態度を崩さず、まるで周囲など目に入っていないかのように振る舞っている。
貴族に対してもそんな調子なので、平民に対する差別意識ではないだろう。
ローエングラム侯から、艦隊の人員配置をロイエンタールと共に行うよう命じられた時、他の提督達から微妙に同情するような顔をされたのも無理はない。


だが、この時のミッターマイヤーは、仕事が終わった開放感もあり、つい、他の同僚にするのと同じように気さくにロイエンタールに言葉をかけた。
「これから食事でも一緒にどうだ?俺はすっかり腹が減ったよ」
独身用の官舎で一人暮らしのミッターマイヤーは、食事はたいていは同僚たちと外で済ませていた。
既婚の同僚からは「良い年して男とばかりでつるんでいる」とからかわれるが、ずっと軍の移動ばかりで女っ気のない生活を送ってきたのだからしかたがない。
するとこれまでそういった誘いには目もくれなかったロイエンタールが、珍しく「ああ」とうなずいた。


この時声をかけなければ、ミッターマイヤーは数奇な運命の糸に絡まれる事もなく、平穏な……軍人としては平穏とはいかないだろうが……人生を送っていたかもしれない。
いや、もしかしたら、何があっても、ミッターマイヤーはロイエンタールという男と出逢う運命だったのかもしれない。

確かに言えるのは、きっかけはこの夜であったという事だけだ。





ウォルフガング・ミッターマイヤーはその年帝国宇宙艦隊の中将に昇進した。

彼の家柄を考えれば、これは破格の出世と言って良い。
ミッターマイヤー家は、代々オーディンの下町で造園業を営んでいた。
もっとも、商売はなかなか手広くやっていて、数人の腕の良い職人を抱え、顧客には貴族の名前もある。
父親の口癖は、何事にも手堅くで、投機的な事は一切やらない。
だが、自由惑星同盟との慢性的な戦争状態にある現在、一族にはまれに軍人になる者も出てくる。
ウォルフはそのうちの一人だった。


彼が軍を選んだ理由の一つは、遠い先祖に彼と同じウォルフガングの名を持つ、優秀な軍人がいたからだ。
優秀どころか元帥にまで昇り詰め、退役後は国務尚書も勤めたたというのだから、帝国で位人臣を極めたと言っても良い。
当時の平民階級では考えられない、破格の出世である。
帝国歴200年の後半、今から200年も前の話である。

よほど詳しい歴史書には「平民宰相」としてウォルフガング・ミッターマイヤーの名が載っているが、中学程度の歴史の授業では完全スルーされている。
平民の功績を記録するほど貴族中心のアカデミズムは寛大ではないことと、単に当時のマグヌス帝の時代が平和で何も特筆すべき事がなかったせいだ。
何しろ、同盟軍との戦争もまだ始まっていなかった。
例の氷の船で脱出したいわゆる「叛徒」達が、ハイネセンにたどり着きせっせと都市を築いている最中であったが、帝国との交戦が始まるのは帝国歴300年代に入ってからの事である。
歴史に記録されるには、あり得ないような事件が起きるとか、よほど滅茶苦茶をやった暴君が出たという時のみだ。
何も記載されていないということは、国務尚書としてのウォルフガング・ミッターマイヤーは、そこそこの政治手腕を発揮していたのだろう。
彼は政治家としてよりも軍人としての評価の方が高く、ウォルフが先祖の名を公的な場所で聞いたのは士官学校での事だった。
「疾風ウォルフ」の通り名で呼ばれたご先祖は、速度に特化した陣形をいくつか編み出しており、それが現在の士官学校でも教材にされていた。
200年前の戦術が今も全く古びていないのに驚かされ、生徒達が感嘆の声をあげるたびに誇らしさを覚えたものだ。


もっとも、親戚数人で集まった時などに遠縁の者達がよくこぼしていた。
「何でウォルフガング・ミッターマイヤーは貴族に列せられるのを断ったのだろう」
帝国唯一無二の「平民宰相」が、世間で埋もれているのは、主にそのせいである。
ご先祖のウォルフガングは、国務尚書を数年勤めた後、60歳に満たない若さで引退した。
当時の皇帝から打診のあった爵位授与の話も丁重にも断り、あらゆる世俗に背を向け、故郷であるオーディンの小さな一軒家で、妻のエヴァンゼリンとともに余生を静かに暮らしたという。
子供や孫を軍人にすることも嫌い、手に職をつけさせたのもこのご先祖であった。
これでは公的な記録が少ないのも当然といえる。
ご先祖の望み通り、今も一族は下町に住み、手堅い商売をしていた。


ウォルフがこのご先祖と同じ名前をつけられたのは、単に代々、いくつかの名前がローテーションされていてその順番にあたったとういうだけで他意はない。
だが、何しろ一族ではもっとも出世した人間と同じ名であるから、知らず知らず幼少期からこのご先祖を意識していたのは確かだ。
公的な記録は少ないが、彼の家の屋根裏には代々の当主が残したものとともに、ウォルフガングの遺品も眠っている。
元帥服で皇帝から元帥杖を頂いている式典や、部下を引き連れ戦場を歩いている姿の立体ソリビジョンを、親戚一同が集まった時、皆で鑑賞した事もあった。
200年前の映像なだけにさすがに色褪せてはいたが、ありし日のご先祖の栄光を目の当たりにした幼いウォルフは深い感銘を受けたものだ。

名前だけでなく、ウォルフはこのご先祖に顔も体型もそっくりだった。
金髪が多い家系だが、その中でウォルフも元帥も「蜂蜜色」と言われるような優しい色の髪をしていたし、瞳は淡い霧のようなグレイ。
古ぼけた映像の中のウォルフガングは「元帥」という言葉が不似合いなほど若々しく、時に少年のように純真に見えた。。
ミッターマイヤー家の遺伝であろう、小柄でありながら、大柄で周囲の軍人達の中にいても、その生き生きとした姿はひときわ目を引く。
幼い頃から好奇心旺盛でよく動く子供だったウォルフと、確かに似たような雰囲気がある。
こうして物心がついた時から「ミッターマイヤー元帥によく似ている」と言われ続けて、ウォルフは大人になった。
自然と軍人という職業に関心が向くのは、ある意味必然であった。
| | back