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あれから数年たった。

最初はこの巨大な不夜城の事を知らなかったミッターマイヤーも、今ではバイエルラインという相棒も出来、他の刑事とも打ち解け、すっかりこの署に根を下ろしている。

その間に、ロイエンタールとは、何度か顔を合わせた。

たいていは、街に出ていると、フラリと向こうが訪ねてくる。
ミッターマイヤーは、向こうの居場所を知りもしないのに。
よくも自分の行動範囲が筒抜けになっているものだと妙に感心する。
これでは警察がファミリーに手出しできないのも、しかたがない。

ローエングラム・ファミリーは、今やこの街の実質支配者だった。
夜は、完全に彼らの配下にあった。

いつかミュラーが言った通り、皮肉なことに彼らに牛耳られたことで、ゴミ溜めのようだったこの街に、少しずつ秩序というものが出来上がりつつあった。

もっとも、グループ同士の派手な抗争は減っても、ミッターマイヤーが担当する殺人や強盗などの凶悪犯罪は、いつの世にもなくなるわけではない。

街を歩いていると、彼らファミリーが、どれだけ影響力を持っているかがわかる。

夜の街でロイエンタールは有名人だった。
表向きはいくつかの高級クラブの経営を任され、全てを成功させ、ファミリーの資金源にしている。
裏でどのような取引をやっているかは、不明であったが。

それ以上に、夜の女たちにロイエンタールは人気で、姿を見た者はほとんどいないのに、誰もが一夜でいいから一緒に過ごしてみたいと熱望していた。

どういうわけか、ミッターマイヤーの名前は、夜の男たち、女たちの間に知れ渡っていた。
「ロイエンタール様から、ミッターマイヤー刑事にはできるだけ協力しろと言われてるんで」
聞き込みに行くと、ほとんどの人間ができる範囲で協力的であった。
警察というと毛嫌いされ、事情聴取など困難を極めるのが通例の裏社会の連中を相手に、これは驚異的な事だ。

あるクラブの支配人は、ミッターマイヤーが見回りにくるたび、「あの人がこんなに誰かを気に入るなんて今までなかった事ですよ。いったいどんな魔法を使ったんです?」と真顔で尋ねる。
「さあね」
実の所、ミッターマイヤーにも、さっぱりわからないのだ。
周りから言われるほど、特に気に入られているという実感もない。
元来、不器用で、人付き合いがうまい方でもない。

まあ、これは、ミッターマイヤーの捜査範囲が凶悪犯罪に限定され、ファミリーの裏稼業にはあまり影響がないせいだからかもしれない。

そのおかげもあってか、この署に来てからも、ミッターマイヤーはそこそこの実績をあげていた。



ロイエンタールと顔を合わせても、大した話をするわけではない。

向こうは、いつだって一方的にミッターマイヤーの動向を把握していて
「昨日、あの店に聞き込みに来たそうだな」などと話しかけてくる。「支配人が呆れてたぞ、入ったばかりの女に、こんな稼業やめて田舎に帰れと説教されたと」
「……あの子は、ああいう店でうまくやって行ける子じゃない。向かない子を無理に働かせていればかえって問題が起きて、新たな犯罪の元になる。困るのはお前たちだろう」

華やかで過酷な競争社会で、虚勢を張るのが苦手な連中もいる。
彼らは、一番犯罪に利用されやすいタイプだし、現に巻き込まれかかっている者も何人かいた。
ミッターマイヤーは、今まで数人のチンピラやホステスを説得して、誰もが見過ごすような軽い犯罪から足を洗わせた事がある。
同僚には余計なおせっかいだと忠告する者もいたが、見過ごせない性分なんだからしかたがない。

「お前の言う事も一理あるな」
ロイエンタールは、いつもおもしろそうにミッターマイヤーの話を聞いている。
「だが、そんな事にまで首を突っ込んでいては、とても時間が足りまい」
「まあ、家に帰る時間がほとんどないな、妻に迷惑かけっぱなしだ……」

中央にいた頃は、はるかに楽だった。
マスコミの注目が集まる大きな事件を何度か担当して解決した。世間からは本庁のエースだなんだとおだてられ、いい気になっていたと思う。
あの頃は、小さい犯罪に関わっている暇はなかったし、ゆっくり街の連中の声を聞くこともなかった。

「それでもここへ来て、よかったと思ってる」
丹念に事件を追い、人の声を聞くことができる。何が本当に問題なのかがわかる。
本当の捜査というものを初めて知った気がする。
そうミッターマイヤーが言うと、ロイエンタールはどこか嬉しそうだった。
彼が根城とする街だからだろう。



仕事を離れて、ロイエンタールとゆっくり酒を飲んでみたいと思う時もある。

一度、ある小さなバーに聞き込みに行った時、ロイエンタールがあらわれた事があった。

こんな裏通りのバーまで、ファミリーが経営しているのかと驚いたが、ロイエンタールは首を振った。
「グループとはいっさい関係ない。ここに来てるのは俺ぐらいなもんだ」

カウンターだけの地味な店だったが、妙に中は落ち着いた。
限られた常連しか相手にしないのだろう、棚には高級酒のボトルばかりが並んでいた。
ミッターマイヤーの薄給では、とても手が出そうにない酒ばかりだった。

目ざとくその様子を見たのか、ロイエンタールが「奢ってやろうか」と切り出した。
当然、ミッターマイヤーは首を横に振った。
ミッターマイヤーの頑固さに、ロイエンタールは呆れたように言った。
「今日はもう超過勤務だろう。仕事はもう終わらせろ。たまたま、俺みたいな奴と同じ店に居合わせたという事にすれば良い」
そうして、カウンターに腰掛け、隣を顎でさした。
「いや、絶対、だめだ」

魅惑的な誘いだった。
とうに深夜を回っている。
店には、マスター以外誰もいない。
うまい酒が、棚にうなるほど並んでいる。
そして、こいつと肩を並べてゆっくり語り合ってみたいという思いがあった。

それでもミッターマイヤーはうなずく事はできなかった。

「……一日ぐらい立場なんて忘れろよ」
ロイエンタールが低い声で言う。「これは、友からの奢りの酒だ」

ミッターマイヤーは少し迷って、答えた。
「……俺たちは友達じゃないだろう」
視線を床に落とす。

刑事と、反社会勢力。
決して、交わってはいけないもの。
最初から二人は別の世界にいる。

「そうか」
ロイエンタールは、こちらを見ないでつぶやいた。
「それもそうだな……」


それきり、彼が酒を勧めて来ることは、二度となかった。
 
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