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その日の午後、ミッターマイヤーはロイエンタールと、いとも簡単に再会した。

当時、ミッターマイヤーは一人で事件を担当していた。
移動してきたばかりの彼の処遇を、上層部も迷っていたものと見える。
若いバイエルラインと組むようになるのは、もう少し先の事になる。


聞き込みの最中、大通りで信号待ちをしていると、すぐ脇の車道に、馬鹿でかい黒いメルセデス・ベンツがスッと停車した。

後部座席の、スモークガラスで覆われたリアウィンドウが降り始めた時、一瞬、銃口でも向けられるのではないかと、ミッターマイヤーは身構えた。

「ウォルフガング・ミッターマイヤー刑事」
フルネームを呼ばれる。
「……また会ったな」
後部座席の奥で、サングラス越しに、かすかに男が笑うのが見えた。

ロイエンタールは、ゴミゴミした雑踏の中でも変わらぬ優雅な動作で、車から降りた。
午後の陽光の中でこの男を見るのは、何か不思議な感じがする。
「適当に流してろ、後で連絡する」と運転手に命じると、メルセデスは大通りを車の流れに沿ってのろのろと走り去る。

「何の用だ?」
さりげなく隣に立ち、ミッターマイヤーと歩調をあわせて歩くロイエンタールに、やや警戒をこめて尋ねる。

信号待ちのタイミングで車を寄せてきたあたり、偶然声をかけたわけではなかろう。
昨日教えなかった名前を知っているということは、向こうもこちらの情報を仕入れているという事だ。

「シャツを買ってやる、と言っただろ」
「はあ?」
「借りはつくらない主義なんだ。こっちで勝手に選んでもよかったんだが、サイズがわからなくてな」

ニコリともしないで真顔で言うので、冗談なのか何なのか真意を掴みかねる。

そうするうち、ロイエンタールはミッターマイヤーの肩に手を置くと、器用に方向転換させた。
ちょうど、外資系の高級デパートの入り口だった。
女性をエスコートしているような鮮やかさだった。

「ちょっと、待て、これはマズい」
何となくロイエンタールに促されるまま店内に入ってしまったミッターマイヤーは、はっと立ち止まった。

「なぜだ?これは正当な弁償だ。別に収賄にはならんだろう」
店内の案内ボードに並ぶ高級ブランドのコレクションのポスターを背にしたロイエンタールは、モデルがそこから抜け出て来たようであった。
細かい寸法なんぞ気にするあたり、この男はオーダーメイドであつらえた服しか着ないに違いない。

「いらんと言ったら、いらん。だいいちこんな高価な店で買った服なんか、普段着られないよ」
「さすが、ミッターマイヤー刑事はお堅い」
「そういう問題でもないんだが…」
困ったように言うと、ロイエンタールのサングラス姿の口元が、楽しそうに笑う。
「せっかくのエリート刑事がそんな融通がきかないから、こんな街に回されるんだ」
「…エリートじゃないよ、知ってるんだろう?」
さすがというか、昨夜の今日なのに、情報が早い。
「あまり腕利きの刑事に来られては、俺たちの仕事にも差し支えるんでね」
相変わらずどこまで本気なのか、ロイエンタールは真顔でうそぶく。

「服は辞退させてもらうが、立ち話もなんだから、そこに少しつきあってくれよ。朝から歩き回って喉が乾いた」
売場の端にあるジューススタンドを指さす。
「甘いものはいらん。酒だったらいくらでもつきあうのだが」
「昼間から酒はいかんぞ、酒は。夜中まで不健康な生活してるんだから、ちゃんとビタミンをとれよ」

結局、いらないと渋るロイエンタールの分もフルーツジュースを買い、二人で壁際に寄りかかった。

高級ブティックばかりの店内の午後だ、あまり人通りがない。
のんびりとこんな所で、この男と肩を並べて立ち話をしていていいのかミッターマイヤーには解らなかった。
しかし、このロイエンタールに、職業上の意味も含めて興味を持った事は事実だ。

……滅多に会う事はできないという、闇社会の大物幹部。

そして、ロイエンタールの方もミッターマイヤーに興味を持っているようだった。
職業上の意味で。


「……警視庁本庁の期待の星だったミッターマイヤー刑事が、無能な上司に逆らって都落ち。もっとうまく立ち回って長いものに巻かれていれば、いくらでも上に行けるのに、と、警察内の誰もが思っている」
データでも読み上げるように、ロイエンタールは淡々と言った。
ミッターマイヤーは肩をすくめた。
「上に行くのは無理さ。俺にはコネがないし、派閥争いも苦手だ。疲れる上司の相手をするより、現場にいた方がよっぽどいい」
「…おかげで有能な刑事がこっちに回されてきちまって、いいとばっちりだと、街の連中の間じゃ評判だ。さらに困った事に噂通りたいそう潔癖で、賄賂も通じないと来てる」
「別に、後ろ暗い所がなけりゃ警察は何もしないぞ。こっちが悪いみたいな言いがかりは勘弁してくれ」
「それもそうだな」

まるで天気や流行の映画の事でも話すように、ふたりは自然に会話していた。

「……なんで、ファミリーなんかに入ってるんだ」

話がとぎれた時、思わずミッターマイヤーは口にした。
昨夜も強く感じた事だが、ロイエンタールには、根っからの育ちの良さが備わっていた。
闇社会にありがちな、急に大金を手にした者とは違う、余裕のようなものが常に漂っている。

「さあな、気がついたらこうなっていた」
返ってきたのは、予想通りの答えだった。

闇にいる人間は、みな、何かしら人に言えないものを抱えている。
解ってはいたが、ミッターマイヤーは口にせずにはいられない。
「お前なら、何やっても成功するだろうに。何もファミリーにいなくても……」
「……こういう世界でしか生きられない種類の人間もいる。みんながみんな、お前みたいな正義漢じゃいられないんだ」

頭ひとつ低いミッターマイヤーの髪をぽんと叩くと、ロイエンタールは紙コップをダストシュートに投げ込んだ。
それからミッターマイヤーが払ったフルーツジュースの分の小銭をスタンドに置いて、冗談混じりに言う。
「収賄はまずいからな」
ミッターマイヤーも釣られてくすりと笑った。

「それに、俺といる所を見られたら、お前が困るだろう」
「え、いや……」
ミッターマイヤーが答えを躊躇している間に「仕事中邪魔して悪かった」とロイエンタールは去って行った。


結局、情報を与えたのか、与えられたのか、よくわからなかった。
一つ言えることは、ロイエンタールの言う通り、闇社会の人間、それも幹部クラスが、街中で堂々と警察官と一緒にいる図というのは、歓迎されるものではない。


それでも、おそらくこの街に居れば、またロイエンタールと会えるだろう、とミッターマイヤーは予感していた。
少なくとも、向こうは好きな時にミッターマイヤーを見つけられるだろう。

この街は、彼らの城塞のようなものだからだ。
 
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