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知り合ったのは、ほんのささいなきっかけだった。

ミッターマイヤーが、この署に移って来てまもなくの、ある夜の事だ。

手がけていた事件の手がかりを求めて、彼は昼夜問わず、街を歩きまわっていた。
この国で一番忙しい署だ、と誰かがここを評していたのは、必ずしも誇張ではなかった。


この街は、不夜城だ。
世界でも有数の歓楽街として、国内外に知れ渡っていた。
幾筋かの川のように横たわったメインストリートは、風俗店、飲食店、ありとあらゆる怪しげな物を売る店が無秩序にひしめきあい、人間の各種欲望を満たすための場を提供していた。
昼も雑多な人間が集まったが、夜ともなると洪水のようにあふれ出した原色のケバケバしいネオンサインに染まり、それ以上の喧噪が繰り広げられる。




その夜。大通りから一歩路地を入ったクラブの裏口で、ミッターマイヤーは、物騒な現場に出くわした。

小型のナイフを握りしめた女が、男にその刃を向けていたのだ。

正面から見える女は、派手な赤いスリップドレス姿で、大きく開いた胸元にゴールドのアクセサリーが光っている。
物騒なものを持ってさえいなければ、どこかのパーティーに出席するセレブリティそのものだろう。

黒いトレンチコートの背をこちらに向けている男は、かなりの長身だ。
ほの暗い裏通りには、他に人影はない。

男が何か怒らせるような事を言ったのか、女は人工的な色のブロンドを振り乱し、凄まじい形相になった。
彼女は頭上にナイフを振り上げた。
刃先が、鈍く街灯に反射する。

「危ない!」
そう叫ぶやないなや、ミッターマイヤーの体は咄嗟に動き、ナイフを取り上げようと、男と女の間に割り込んだ。
女の振りかざした刃がひゅっと空を切り、二の腕をかする。
「何よ、あんた、いったい!」
「いいから、それを降ろせっ」
「うるさいっ!」
邪魔された女はますます逆上し、ナイフを振り回した。
防戦一方になって後退したミッターマイヤーは、裏口に重ねてあったビールのケースに足を取られて尻餅をついてしまった。
瓶が割れる音が派手に路地に響く。
ケースの中にすっぽり入ってしまった彼が見たものは、女の背後にまわった男が、ナイフを持った腕をねじり上げ、器用に奪い取る所だった。
男の動きは長身に似合わずどこにも無駄がなく、それでいて優雅ですらあり、まるで映画のワンシーンを見ているようだった。

ミッターマイヤーは、自分がとんだ茶番を演じてしまったことに気づいた。
この男には、最初から助けなど必要なかったのだ。

音を聞きつけたのか、クラブの裏口から従業員らしき黒服が数人飛び出てきて、女を奥へと引きずって行く。
その間、女は、ナイフを向けた男にではなく、なぜかミッターマイヤーの方に向かって悪態をつき続けた。
男には、いまだ未練たらたらなのだろう。
「あんたのせいよ、あんたが邪魔なんかするからよっ」

奥の扉に消えて行く罵声を聞きながら、ミッターマイヤーは愚痴らずにはいられなかった。
「ったく、俺は通りすがっただけだぞ、何で責められなきゃならないんだよ…」
ただの痴話喧嘩とも気づかず首をつっこんでしまったことを、今では激しく後悔した。

「つまらない事に巻き込んでしまって、すまなかったな」
男が手をのばして、ビール瓶の破片にまみれているミッターマイヤーを立ち上がらせた。


この時、ミッターマイヤーは初めて男の金銀妖瞳に気がついた。
最初は表通りのネオンに照らされて、片目が群青に見えるのかとも思ったが、違った。

「こっちこそ、余計な首つっこんじまって……」

先ほどの男の見事な身のこなしを思いだすにつけ、助けに入ったつもりが足をもつらせて倒れた自分が情けなくなり、ミッターマイヤーは顔を赤らめた。

「そちらが気をそらしてくれたから、俺が自由に動けただけだ」
男はミッターマイヤーのシャツに降りかかったガラスの破片を払いのけながら言う。
渋みのあるいい声だったが、この場合同情してもらっても落ち込むばかりだ。

「いや、俺がバカだったよ、あの女性にも悪いことをした。落ち着けばきちんと話あえただろうに、かえって騒ぎを大きくしてしまったようだ」

しょんぼりと肩を落とすミッターマイヤーを見て、男の口元がフッと緩んだ。
ナイフをつきつけられても顔色ひとつ変えなかった男の表情が初めて変化するのを、ミッターマイヤーは見た。
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