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その日の午後は、ロイエンタールにとって、拷問にも等しい時間だった。
しばらくして姿を現した伯爵と夫人は、しきりにロイエンタールに紅茶を勧めながら、娘がいかに宮廷で美しいと評判か、ダンスやピアノの腕前を誉められるかをとくとくと語りだした。
親が自慢するだけあって、娘は確かに見栄えはよかった。
見るからに、髪の手入れや流行のドレスの事ばかり考えて過ごしている女だ。
本来、ロイエンタールは、女性が向こうから差し出してくれたものは、遠慮なく頂く主義だ。
だが、金のために媚びた笑顔を浮かべているこの娘は、女は必ず男を裏切るというロイエンタールが信奉している哲学を、そのうち必ず実践するだろう。
そう思うと、気取った猫のような仕草、わざとらしい喋り方、むせるような香水の匂い、全てが鼻についた。
さすがに、不機嫌さを隠さないロイエンタールの態度に気づいたのか、途中で、伯爵夫妻は矛先を変えてきた。
ロイエンタールの軍での昇進ぶりに対し、思いつく限りのお世辞を並べ始めた。
どうやら、借金以外にもロイエンタールに取り入りたい理由があるらしい。
ロイエンタールが幕僚として仕えるラインハルト・フォン・ローエングラムは、現在、帝国軍内で、飛ぶ鳥を落とす勢いである。
門閥貴族にとって、姉が皇帝の寵愛を受けているだけの「金髪の儒子」など、最初は鼻にもひっかけない存在だった。
しかし、今ではラインハルト旗下の艦隊がなければ、同盟との戦いが成り立たないほどに、彼らの勢力は増している。
おかげでロイエンタールも、この若さで上級大将にまで昇っているわけだ。
保身に長けたこの伯爵家が、この機会に日の出の勢いのラインハルトの幕僚と縁続きになろうともくろんでも、何ら不思議ではない。
彼らはわざとらしくラインハルトの勇名を称え、ロイエンタールの戦功をほめそやした。
伯爵夫妻と娘の売り込みを、ロイエンタールは、ひたすら冷ややかに無視し続けた。
やがて、娘がピアノ演奏を披露しましょうなどと言い出したため、彼は当初この家を訪れた目的、つまり借金の話を強引に切り出した。
さっさと契約をまとめて、この不愉快な屋敷を出たかった。
ロイエンタールが辞去しようとすると、伯爵は何とか引き留めようと、夕食を食べていかないかなどと、しきりに誘った。
もちろん丁重にお断りすると、今度は庭を見ていかないかと言う。
「皇帝陛下から頂いた、素晴らしい白薔薇がありましてな……」
けっこうと断る隙も与えず、伯爵は娘と夫人も引き連れ、庭へと繰り出した。
政務にはまったく無関心な皇帝フリードリヒ4世の、唯一の趣味は薔薇づくりである。
門閥貴族たちは、皇帝の歓心をかうため、それぞれの屋敷にこぞって手の込んだ薔薇園をつくり、競うように新種の薔薇をつくりだしては宮廷に献上していた。
皇帝の名を出せば畏まるだろうと思ったのかもしれないが、あいにく、ロイエンタールは皇帝なんぞに対して忠誠心も敬意も持っていなかった。
美しい花を見るのはかまわないが、皇帝から下賜されたからと有り難がる趣味はない。
皇帝の花園に咲こうと、花屋の店先にあろうと、薔薇は薔薇なのだ。
ウォルフは、父親とその助手の3人で、伯爵家の台所でお茶を飲んでいた。
急に大事な来客があったからと、その日の仕事を中断させられたのだ。
貴族様たちの目につく所で庭師がウロウロしていては、目障りなのだろう。
気のいいメイドが「旦那様には内緒にしてくださいね」と、客に出した残りだというケーキを持ってきてくれて、彼らは一息ついていた。
「お嬢様のお婿さん候補が、急にいらしたんですよ。おかげで伯爵様もお嬢様も大慌てで」
暇なのか、ただの噂好きなのか、メイドは頼みもしないのに、いろいろとこの家の事情を教えてくれた。
「そのお婿さん候補っていうのが、あの有名なロイエンタール様なんですって。お茶を運んで行った子が見たんですけど、テレビで見るより、実物はもっとハンサムだそうですよ!」
先の同盟との戦いでの、ローエングラム侯とその配下の先の勇将たちの活躍は、連日メディアで流され、今やオーディンで知らない者はない。
中でもロイエンタール上級大将と言えば、金銀妖瞳の美男子としてオーディンっ子の間で名を馳せていた。
そんな無責任な噂話に興じていた所。
そこへ、執事が血相を変えて入ってきた。
「誰か!この中に庭の薔薇を切った者はいるかね?」
「薔薇って、一輪だけ生け垣に囲まれてたやつですか?あれならさっき俺が切りましたけど」
ウォルフは答えたが、ただならぬ執事の様子から、どうも嫌な予感が胸をよぎった。
「な、なんて事をしてくれたんだ!」執事は真っ青になって叫んだ。「あれは皇帝陛下から頂いた薔薇なんだぞ!」
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