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ロイエンタールがこの屋敷を訪れたのは、望んでの事ではなかった。

彼の父親が、生前、この家に金を貸していたのだ。

門閥貴族のはしくれであるこの伯爵家は、信託会社に言われるままに投資した穀物の先物買いで大損を出した。
当時、門閥貴族に媚びたくてしょうがなかったロイエンタールの父は、その損を全額肩代わりしてやった。
そこまでしても、父はただの成り上がりの下級貴族としてしか扱われなかったわけだが、そんな事はどうでもいい。

ロイエンタールはほとんど気にもとめていなかったが、父の死後、その借金は、利子も含めてけっこうな金額になっていた。

伯爵家は、数年置きにやって来る返済期日を、その都度引き延ばしにかかった。
門閥貴族の二枚舌に馴れていたロイエンタールは、今さら真剣に取り立てるつもりもない。
そんな金を回収しなくても、十分な財産が彼にはあったので、期日が来る度に、全てをお抱え税理士に任せ、機械的に期限を延長してきた。

しかし、どうしたわけか、今年に限り、伯爵家は、晩餐会にロイエンタールを招きたいと申し入れてきた。
税理士に任せるなどと味気ない事はせず、直接会ってその席で契約延長の手続きをしたいという。
普段は彼らが蔑んでいる下級貴族など顔も見たくないはずなのに、いったいどうした風の吹き回しか。

やや不審に思ったロイエンタールは、晩餐会の招待には返事をせず、抜き打ちで伯爵家を訪問する事にした。
金の話など不愉快であったが、さっさと済ませてしまうに越した事はない。
何かを企んでいるとしたら、先にこちらから出向いて、有無を言わせないよう契約してしまえば良いのだ。


こうして、その日の午後、ロイエンタールは、伯爵家を訪れた。

上級大将の軍服に身を包んだ長身で美貌の青年の予期せぬ来訪に、伯爵家は時ならぬパニックにおそわれたようだった。

客間である大広間に通された後も、しばらくロイエンタールは一人で待たされた。

そのうち、仰々しくメイドたちがお茶の用意を始めたが、甘ったるい焼き菓子やもったいぶったサンドウィッチは、全くロイエンタールの食欲を刺激しなかった。
彼はとっとと用件を済ませて、帰りたかった。

すると、しずしずと扉が開いて、こんな昼日中には不自然なほど着飾った娘が現れた。
「お待ちしてましたわ、ロイエンタールさま」
念入りに化粧をして豊かな髪を高く結い上げた娘はにっこりと笑い、美しい手でロイエンタールのポットに紅茶を注いだ。

隣に腰を降ろした若い娘のやけにしなを造った様子に、ロイエンタールはピンと来た。
彼はこういう事態に、馴れていた。

おそらく、伯爵家は、借金と引き替えに娘を売ろうとしているのだ。
この家の娘がロイエンタール家に嫁げば、借金は棒引きになる。
彼らの思惑では、周到に準備を整えた晩餐会で娘に引き合わせようとしたのだろう。
計画が狂ったのだろうが、真っ昼間から厚化粧にとっておきのドレスを着せて、ロイエンタールの歓心を買おうとしているのである。

ロイエンタールは、全身の血がスッと下がって、吐きそうになった。

意識の底に葬っていた記憶が、急に蘇ってきた。
彼の母親も、似たような経緯で父の元へと嫁いできたではないか。
なぜ、こいつらは、この馬鹿共は、飽きもせずに、こうも恥知らずで不愉快な事を平気で考えつくのだろう。

怒りと吐き気で目眩すら覚え、ロイエンタールは自分を押さえるため、拳を握りしめた。

 

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