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優雅な軍事教練施設といった趣のあるこの屋敷での生活を、ウォルフは楽しんでいた。

元々体を動かすのは好きだから、実技訓練は(どんなに提督に剣でぶちのめされようと)平気だし、図書室に閉じこめられてのお勉強は最初こそ苦痛であったが、三次元立体ジオラマを使った有名な艦隊戦の再現や、過去の名将達の武勇伝を学ぶにつれ、どんどん興味を惹かれるようになり、宇宙航行図の計算方法やら艦の設計図やらを見るのまでが楽しくてしょうがない。
というより、自分はマジ庭師に向いてなかった。


夜は夜で、ロイエンタール提督のカードやビリヤードのお相手をするのだが、最初の夜に負けてくれたのはもしかして自分の力量を見るためにわざとだったのか?と勘ぐるほど、ウォルフはその後、全敗を続けた。
まあ、でもロイエンタール提督の方も、最初のような舐めきった顔ではなく、それなりに真剣にゲームに興じているようなので、ちょっとはこちらの力量を認めてくれているのかもしれない。
もっとも呼ばれる時は「おい」や「そこの平民」と、相変わらず、魔界の王が使い魔の下等生物を呼び寄せるような口調であったが。

このサイクルで、数日が過ぎた。

ウォルフの知る限り、来客はほとんどなく、ストイックな時間が、悠揚とこの屋敷には流れている。

邸内で見かけるのは、ロイエンタール上級大将と何でも取り仕切る執事と厨房にいる料理人ぐらいで、後は通ってくる掃除夫や食料を届けに来るご用聞きをたまに見るぐらいだ。
執事さんは、初日から変わらず「ミッターマイヤー様」と呼び、慇懃さを崩すことはないが、ふとした表情に穏やかな好意が見えるような気がする。
その態度が、最初は拒まれているように感じたこの屋敷に、受け入れられているような安心感をくれる。

ロイエンタール提督は、普段は自室や図書室で静かに読書などをしているようで、外部からの連絡も、たまに副官からの通信が入るくらいらしい。
剣の稽古をつけてくれる時と、夜、カードをやる時に顔をあわせるが、彼が冷ややかで超然とした態度に比して、意外と饒舌である事にウォルフは気づいた。
様々な知識を、惜しげもなく授けてくれるのだ。
特に夜は酒が入っているので、いっそう口がなめらかになる(ロイエンタール提督はかなりの酒豪であった。当然ウォルフもおこぼれに預かっていた)。

カードのつれづれに、彼の饒舌さを(一応ソフトな言い方で)指摘すると、
「当たり前だ、俺の侍従なのだから、この俺に恥をかかせるようでは困る」
と、鼻で笑われた。
普通の人が言えば傲岸なだけの台詞も、魔王様だと説得力がありすぎるから困る。
ウォルフはにわかに焦燥を感じた。
「でも、今、俺なんかが元帥府に呼ばれて行っても、笑い者にしかならないんじゃ……」
「まあ、確実にそうなるな」
あっさり冷静にうなずかれてしまった……。
この人の言語中枢に「優しい嘘」という概念はない(断言)。
「悩む必要はなかろう、お前みたいな者には最初から誰も何も期待していない」ロイエンタール提督は、口の両端をかすかにあげる皮肉な笑みで付け加えた。
「入り口に立った後にどうするかは、全てお前次第だがな」
……相変わらず、ぐうの音も出ない正論でした。

身分も地位も金も美貌もある人は、簡単に言ってくれるけど。
こっちは、たった一週間の付け焼き刃で、士官学校で数年かけてやるような事をやってるわけで。
数日前まで、艦に乗りたい、宇宙を駆けたいと単純に憧れていた自分の何と世間知らずだったことか。

このように軍や訓練の事となると饒舌な提督だが、私生活、家族については謎のままであった。
ま、派遣侍従が口を挟む立場ではないのだが、屋敷にあまりにも人けが少ないのは、どうも不安である。
たいていの貴族の館にいて、その家の内情を少々誇張された噂で教えてくれる、口の軽いメイドは、ここにはいない。
執事さんとの会話の端々から、先代も奥様も早くになくなり兄弟もいないらしい事が、薄ぼんやりと分かったくらいだ。
そして、執事さんの口調や表情からして、あまり触れられたくない話題であることも察せられた。

確かに、今までウォルフが耳にしてきた貴族の家庭の内情は、どこも煌びやかな華やかさの裏に、退廃した不健全さが見え隠れしている。
夫婦双方が愛人を何人も囲っているだとか、家族仲が冷え切っていて、財産を巡って骨肉の争いがあるだとかいう話は珍しくない。
この家にも、何かしらの問題があるのだろう。
……単純な生活しかしてこなかったウォルフにとって、理解の範疇を軽く越えた世界ではあるけれど。
そう思うと、真夜中に一人、醒めた顔でカードをいじっているロイエンタール提督が、世間での我が世の春であるかの評判ぶりとは裏腹に、少し寂しげに感じられてしまう……なんてね。
……まあ「女は暇つぶし」と豪語して、それでもいくらでも女性が寄ってくる魅力の持ち主なのだから、何もウォルフが余計な心配する事ではないのかもしれない、謹慎が明ければ、また違うのだろうけど。


だが、ウォルフが考えているよりもこの家の内情が拗れていると分かったのは、その日の夜である。
そして、その夜は、ウォルフにとって生涯忘れられないものとなってしまった。

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