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10


遅い夕食(当然マナー講師付き)が済むと、もう寝てもおかしくない時間になっていた。
この館での、一日が過ぎるのが何と早かった事か……(もしや、それだけ充実してたって事だろうか?うーん…)。

当てがわれた二階の部屋に居ると、執事さんが呼びに来て、ヴィジホンを使う許可をくれた。

階下の使用人専用の回線で両親の顔を見た瞬間、なし崩しに始まったここでの生活が、ウォルフの中で急に現実味のあるものとして認識された。
それまでふわふわと、まるで夢の中にいるような気分だったのだ。

前触れもなく連れ去られた事にもちろん両親は面食らっていたが、ロイエンタール家の使いが巧く言いくるめたらしく、一ヶ月ほど奉公したら戻ると了解しているようだ。
使いの者が前払いで従卒の給料を置いて行った事(両親の顔色からしてかなり多額と見た)、例の出禁になった伯爵家に替わる別の仕事口を紹介してもらった事は、軍隊嫌いの父の態度緩和に繋がったようである。
ややミーハーな気のある母は、お仕着せのひらひらした貴族ブラウスをにこやかに眺めている。
「まあウォルフ、ずいぶん良いお洋服をいただいて、お前も品の良いところがあったのねえ……ご奉公、がんばるのよ?」
息子の窮地にどうも呑気な態度が気になるが、どうせ家に戻ったらゴミ扱いされたTシャツに戻るのでかまわない、適当に調子を合わせておいた。

まあ、平民に生まれて、ちょっと貴族のご機嫌を損ねただけで入牢だ、ひどい時には処刑されてしまうご時勢で、三食衣装付き、給料も出る住み込みの職場にスカウトされた…と思えば、これはこれで悪くないのかもしれない。
ミッターマイヤー家の血筋は、楽観主義なのだ。

通話が終わり、部屋に戻る途中、微妙に迷子になりかけた事は誰にも言えない秘密だ。
何しろ、この屋敷は広い。
広い上に、似たような部屋がたくさん並んでいて、殺風景である。
いや、殺風景と言う言葉はふさわしくないかもしれない。
調度品はどれも典雅で、手入れも行き届き、どこをとっても端正できちんとしている。
どちらかというと、全てがきちんとしすぎているのだ。
これだけ豪華なのに、休日の官公庁の建物にでも迷い込んだような生真面目さと、ガランとした空疎さがある。
広すぎるというのも考えものだ、人口比が追いついていない。
人がいれば大分違うのだろうが、住んでいるのはロイエンタール上級大将と、ごく少数の使用人だけで、廊下を歩いていても誰にも会わず、使われている部屋もほんの数部屋のようだ。
夜の帳が降りてからは、ご丁寧にと言おうか、全室に灯りが灯されているのが、逆に寂しい印象を増す。
使わなきゃ消しておけばいいのに、と思うのは平民のみみっちさで、貴族にとっては些細な事なのだろうけど。
だが、ウォルフが勝手に想像で思い描いていた貴族ライフとは大分かけ離れているのは確かで、例えばそれは着飾った美しい貴婦人や紳士たちが笑いさざめく声だったり、メイド達が次々と運んで来る豪華な晩餐だったりする。
俗っぽい想像しかできないのが残念だが、今まで庭師として出入りした中でも、こんなに人けの少ない貴族の屋敷は初めてだった……経済状況で使用人をリストラしているわけでもなさそうだし。
確かに食事は今までの自分比で豪華だったが、だだっ広い食堂の20人ぐらい座れそうな細長いテーブルで、マナー講師と二人で、執事さんの淡々とした給仕で食べるのはたいそう味気ないものだった。

何よりも、華やかな女性遍歴に彩られたロイエンタール提督の屋敷ともなると、美麗なフロイライン達が後宮のように溢れてるイメージだったのだが(そんな家も嫌だが…)、何というか女性の影も形もないのが、不思議だった。
謹慎中だから女性の気配がない、というよりは、最初から女性を拒んでいるかのような空気が、どことなく漂っているのは考え過ぎか。
図書室には貴重な戦史や戦術理論の本のコレクションがたくさんあったし(元教授が教えてくれた)、射撃場や闘技場なんて軍隊的なものはのは完備されているのに、調度品でも女性が好みそうな優しいレースや宝飾品の類は全く見あたらない。
まあ、限られた部屋しか見ていないので、どこかに女性が訪ねて来た時専用の部屋があるのかもしれないが…。

そういえば、家族は?
家族はいないのだろうか。
写真や肖像画も全くないし、趣味的なものも何も置いてない。
うん、家というよりホテルのような、豪華で行き届いてはいるが、持ち主の個性の判然としない屋敷だ。


と、気がつくと、一階のどのあたりにいるのか分からなくなってしまった。
歩けば歩くほど迷路のように均質で、どの部屋も同じ青白いシャンデリアが灯り、かといって人の気配はまるでなく、魔術のかかった宮殿にでも迷い込んだようだ。
家の中で迷子だなんて、笑い事ではない。
行く先に、ドアが開いて、少し明るめの光が漏れている部屋を発見し、場所の目印になるかと近寄って見る。
だが、入り口で思わず足を止めた。
ロイエンタール提督が、一人でワイングラスを前に座って、テーブルに目を落としている。
良く見ると、カードを手元でいじっているので、一人でカード遊びをしているようだ。

そりゃそうだよな、この家ではカードぐらいしかやることなさそう。
ウォルフは一人でにうなずいた。
執事さんからは「夕食後はご自由に」と言われていたが、何しろこの屋敷、ソリヴィジョンの類はなく、携帯ヴィジホンは機密保持のために邸内での使用禁止(軍関係のスパイ防止だそうな)、ゲーム機も家から持って来ていないので、手持ち無沙汰になるところだったのだ。
ゲームはゲームでも、貴族となると優雅にカード遊びか、と感心していると、ロイエンタール提督が顔をあげ、バチッと目があってしまった。

「おい、平民」
摺り足で立ち去ろうとした所、呼び止められ、ウォルフはギクリと立ち止まった。
「こちらに来て、少し相手をしろ」
「え……」
「平民でもカードぐらい、やったことあるだろう」
ロイエンタール提督は、対して興味もなさそうな顔で言う。
いかにも投げやりな口調だったので、おそらく本当に暇で、誰が通りがかってもお声がかかったのだろうが、ウォルフの方は泥棒を見咎められたかのような気分になった。
(だって異様な威圧感あるんだもん……)
「どうした、何もお前みたいな子供を取って食おうとは思わんぞ、俺にも好みがあるからな。あいにく俺は美しいご婦人以外には興味がない」
さすが女漁りが激しいだけあって、比喩表現がそっち方向に行くのはしょうがないとして。
「お、俺は子供じゃないです」
「は?お前いくつだ?」
「……にじゅうさん」
金銀妖瞳の端正な顔が、最初に唖然となった後、ぷっと吹き出すのを見て、ウォルフは傷ついた。
ええ、傷つきましたとも。
ふだん仏頂面な人だと思ってたから、特に。
「わ、笑う事ないじゃないですかっ」
「いや、すまん。そうか、従卒という年齢ではなかったか、それは悪かったな」
「まったくです」
「まあ、十分子供に見える。どうせ短い間だし、かまわんだろう」
そーゆう問題じゃねえって。
内心むっとしたのが顔に出てしまったせいか、ロイエンタール提督は片方の眉を上げ、いつもの下賤なものを見下すような顔つきになる。
「口答えしてないで、まずはカードだ。それともお前は俺の命令が聞けないのか?ん?お前にどれだけ投資してると思ってるんだ?」
「うぅ………」
「躾がなってないようだな、返事は?」
「はい…」
「もう一度」
「はいっ!」
ここで金の事を盾にとってくるとは、たかがカード遊びになんちゅー手段を選ばなさであろう。
人間、小さっ……。
だが逆らいようがない正論ではあるので、ウォルフは仕方なくおずおずと歩み寄る。
テーブルの向かいの椅子をロイエンタール提督が顎でぞんざいに示すので、仕方なく座った。
もはやご主人様の身振りで何でも動く、ペットの境地である。

この部屋はどうやら遊戯室のようで、ビリヤード台やダーツの的が置いてある。
「俺がいない時に、好きに使って良いぞ。戦が始まったらほとんどここには戻らんからな」
きょろきょろしてるのに気づかれ、ウォルフは赤くなった。
あ、そっか、家をずっと開けてるから、屋敷内はこんなにヨソヨソしいのか。

その間に惚れ惚れするような器用な手つきで、ロイエンタール提督はカードを配っていた。
どんだけ一人カードやってんのかと思うほど見事な捌き方だ。
「ポーカーのルールぐらいは知ってるな?」
「はあ、何とか……」
「何とか、か。まあいい。何も賭けないのはつまらんが、平民から金をむしりとっても大人げないからな…」
提督が用意したのは、他のボードゲームに使う点数棒で、これを金銭代わりに勝負が始まった。


で、結論から言うと、ロイエンタール提督に勝っちゃいました(にっこり)
や、まあツキがかなりあったのは事実ですけどね。


「お前……どこでポーカーを覚えたのだ」
ロイエンタール提督を絶句させたのは、中々気分が良かったのは事実だ。
「え、近所の酒場の常連さん達に混ぜてもらって、よく父さんに連れてってもらってたんで、見よう見真似で……」
実はウォルフは、カードもビリヤードも割と強かった。
『勝負勘があるというか、度胸がいいのかねえ』と酒場のおじさん達に感心されたものだ。
「ほう、教育を受けていないだけで、いろいろと筋はいいのだな」
……無学で悪かったな。
だが、ロイエンタール提督はかえって面白がっているように口元を歪めた。
「よかろう、お前、明日も相手をしろ」
「えっ」
「俺もこの有様では、しばらくはご婦人と会って暇を潰す事も出来ぬ。手持ち無沙汰なものでな」
はいはい、借金あるうちは暇潰し要員でも何でも仰せつけ下さいよ。
ていうか。
「女性と会うのは暇潰しですか…。羨ましい…」
って、口に出してから失言と気づいた。
だが、ロイエンタール提督は
「その通り、女は暇潰しのためのものだ」
冷たく煌めく黒と青の瞳に、完爾と笑みさえ浮かべた。


ところで、部屋に戻ってから、ウォルフは思い当たった。
下町の酒場の親父達相手じゃあるまいし、ついムキになってあんな風に貴族の旦那様をカードで負かして良かったのだろうか。
普通、使用人はわざと負けたりするもんじゃ…?
短期な主人だったら、その場で成敗されてもおかしくなかったはずである。
今頃になって、背筋に冷や汗が流れる。
何と危ない橋を渡っていたのだろう。

人間が小さいなんて言って、すみませんでした。
ロイエンタール提督は、ものすごい大きい度量をお持ちです……。

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