back


12


いつものように夜のカードゲームのお相手で、遊戯室に呼ばれた所で、執事さんが戸口に現れた。

「旦那様、ー家の方が……」
何事にも慇懃な態度な執事さんの顔に、珍しく困惑が浮かんでいる。
その時は、来客の名前は良く聞き取れなかったのだが、後で知った所によると、マールバッハ家というロイエンタール提督の母方の実家だった。

執事さんを押し退けるようにしてズカズカと闖入してきたのは、立派な初老の紳士だった。
いかにも貴族然とした夜会服に身を包んでいるのだが、顔色は赤黒く、時代錯誤な貴族スタイルの髪がやや乱れている。
「オスカー、お前……」
入ってくるなり、紳士はロイエンタール提督より、なぜかウォルフの方を凝視した。
いきなり、すさまじい質量の憎悪をぶつけられて、立ち上がりかけたウォルフは怯んだ。
「まさかと思って来てみたら、本当にそのような子供を連れ込んでいるとは……」

つ、連れ込んでいる!?
まさかこの人も、妙な誤解を真に受けてらっしゃる?
見れば分かるが、仲良く(もないが)、カードゲームしてただけだぞ?
ウォルフの頬が恥ずかしさで、見る見る熱くなる。
だから、訂正しておくに越したことはないって言ったのに…!

紳士は瘧にかかったようにぶるぶる怒気を発散していて、連れ込まれているわけでも、子供でもない、と訂正する隙もない。
「人の家を約束なしに訪ねるにふさわしい時間とは思えませんが」
間に入ったロイエンタール提督が、平然と応酬する。
他人を冷たくあしらう事にかけては、この人は天下一品であった。
紳士は負けじと、大音量で一喝した。
「黙れ、この恥知らずが!伯爵家からのせっかくのお話を断り、そのような汚らわしい平民の少年にうつつを抜かすとは…!今日の晩餐会、お前のせいで私がどんな思いをしたか。我が一族の者が何という不始末をしでかしたのだ!」
今にも沸騰しそうな顔色は、怒りだけでなく、その匂いをまき散らす酒のせいでもあるようだが、提督は傲岸不遜に言い放った。
「他人の家に上がるなりわめき散らす方が、よほど恥知らずに見えますな」
端正な口元に、相手を斬りつけるようなせせら笑いを浮かべている。
「あなた方の対面など俺には関係ない、俺は俺の好きにやらせてもらう」
この時の金銀妖瞳の奥に浮かんでいたものは、いつもの厭世的で世の中を見透かすような皮肉混じりの色とは、かけ離れていた。
今までウォルフが見た事のない、毒性の昏い炎。
「お前のような下級貴族が、そんな事言えた義理か」
青白い炎に炙られたように、紳士の顔色がどす黒くなる。
何か宿命的な憎悪が、部屋に充満している。
「いいか、すぐにこの小僧をつまみだせ」
ものすごい形相で、紳士はこちらに歩み寄ってくる。
事態に混乱して、ウォルフはその場に射すくめられたように突っ立っているしかない。
「出て行くのはそっちです」
言うなり、ロイエンタール提督は、ウォルフの腕を引いた。
強い力で仰向かされたかと思うと、気がついた時にはキスをされていた。

ひっ、ひえーーーーーっ!!!

頭が真っ白になったが、自分より一回り大きい体に、暴力的なまでにがっちりと腰を抱かれているので、身動きがとれない。
どんどんと口づけは深くなって行く。
ロイエンタール提督の舌が、口の中を蹂躙し続ける感触は、もはや、キスというより噛みついているような荒々しい行為だった。
「……んっ…」
息苦しくて、鼻から抜けたような息を漏れる。
角度を替え何度も唇を合わせてくるので、のしかかってくるロイエンタール提督の体の重みに負け、一歩、二歩と自然に足が後退りする。
彼の激した感情を受け止めきれず、やがて、膝がくたっと折れた。

気がつくとふかふかした絨毯の上に寝かされていて、顔中に烈しいキスを受け、ロイエンタール提督の手が体中を這い回っていた。
「ん、んっ……」
何も考えられなくなるくらいの激しいキスと愛撫を一方的に受けた経験は、ウォルフはもちろんない。

いつの間にか、さっきまで怒鳴っていた紳士は姿を消していた。
そりゃこんな場面を見せられたら、いたたまれなくなって出て行くのは当然だろう、お気の毒に。
招かれざる客を追い出そうとするロイエンタール提督の狙いは正しい、しかし、ウォルフにとっては正しくない。


「も、もう…いなくなっちゃいました…よ…」
「そうだな」
切れ切れの息の合間に言うが、ロイエンタール提督は動きを止めない。
さっきまでの容赦なく感情をぶつけあっていた異常な空間の興奮から、互いにまだ抜けきっていないのだ。
ロイエンタール提督に翻弄されて、腰のあたりがずんと重くなっており、言いしれぬ感覚が若い肢体の奥底から沸き上がってくる。
「あっ……!」
ひらひらしたブラウスの薄絹の上から胸元に触られた時、自分ではないような甲高い声が出て、その時になってようやく羞恥という感情を思い出した。
「……こ、これ、まずいですってば……」
それでも、残っていた理性が、火照った体に勝ち、ウォルフは残っていた力で相手を押し返した。
だが、相手は、ふっと鼻で笑う。
「……どうせ噂になっているのだから、既成事実にしてしまえばいい」
「そーゆう問題じゃない…って…」
ロイエンタール提督がおでこにかかったウォルフの髪をかきあげ、じっとこちらを見つめてくる。
黒曜石とサファイアブルーの瞳がほんの少し優しく細められたように見え、恥ずかしさに思わず目を閉じてしまう。
「お前には投資しているんだ……良い思いさせてやるから、おとなしくしてろ…」
耳をくすぐる低い声に、ぞくっと全身が痺れ、その間にもブラウスがはだけられ、素肌が露わにされているというのに、身動きがとれない。
こんな鋭く甘い感覚は、初めてだった。
やがて全身を丁寧に愛撫され、甘い声をあげながら、女性達がこの人に夢中になってしまう訳を、ウォルフは身を持ってまざまざと理解させられたのだ。


暗転。


気がつくと、ベッドにいて、何も着てなくて、隣でロイエンタール提督が寝ていた。
途中から記憶が飛んでいたので、どうやって運ばれてきたのかは不明であるが、明け方の薄ぼんやりとした青白い空気の中、何もかも現実味がない。
ただ、途中までの記憶はしっかりあって、自分がどんなあられもない格好をさせられ、どんな風にされたか、どんな声を出してたか……。
「うわあああっ」
がばっと跳ね起きると、なんか全身が怠くて腰の辺りが痛いし、体に紅い痕が残っているのが目に入って、さらに落ち込んだ。
「どうした、まだ早いだろう…」
頭を抱えていると、半分微睡んでいるようなロイエンタール提督が、さすがといおうか、馴れてる感じに腕を伸ばしてくる。
ぱたっと枕に倒れ込み、朝のひんやりした空気を吸った。
ロイエンタール提督の手が、無意識のように髪を撫でてくる。
冷えた空気の中、その感触が妙に温かくて、何でか分からないが、視界がぼやけてきた。

……これで、昨日の紳士は、俺を金で囲われてる奴だと思うだろう。
金払ってもらってんの、事実だし。
世間体などどこ吹く風のロイエンタール提督にとっては、そんなのどうでも良いことで、第一、いくらでもこの手の噂があって、既成事実もたくさんある人だ。
この人にとって、客を追い返すのに一番手っ取り早い方法を選択しただけで。
宮廷の偉い人に比べたら、所詮は取るに足らない平民がどうなろうとかまわないんだろうけど。
どうせ暇つぶし要員だしな。
でも、何だろう、自分にとっては何かが違った。
あの時、ロイエンタール提督は、何か寂しそうだなって、完全にこっちの思い上がりなんだけど、でも初めてこの家で見た身内とあんな憎しみをぶつけあうような事になってて、なあ。

視界に靄がかかって流れ落ちると、頬に温かい指が触れる。
「泣いているのか?」
暖かい腕にゆっくり抱き寄せられ、指で涙を拭われる。
そんな仕草も堂に入ってて、翌朝相手が感傷的になって泣くなんて、この人にとってはしょっちゅうなんだろう。
「すまなかったな、ウォルフ……」
耳元で囁かれる。
この人、俺の名前知ってたんだ、という事がまず驚きだった。
マジで石ころ程度の認識しかされてないと思っていた。
それも少し困った顔で、ためらいがちに言うのがズルい。
たぶん、この人の相手は皆、それで何もかも、どうでもよくなってしまうのだから。



  back