透き通る星空

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待ち合わせ場所に、少し遅れてやって来たミッターマイヤーを、ロイエンタールは無表情のまま迎えた。

黄昏時の公園である。
「遅れてすまんっ」
駆け足で来たミッターマイヤーは、やや息を弾ませていた。
「別に……時間はかまわぬのだが、何だ、それは?」
ロイエンタールのいぶかしむような視線が、ミッターマイヤーが抱えている茶色い紙袋に向けられた。
「や、焼きたての看板がでてたから、つい並んでしまって……」
ミッターマイヤーの恥ずかしそうな語尾が、小さく消えて行く。
これから夕食を、という友人との約束の前に、菓子店の前を通りかかったからといって、そこに並んで、遅れてしまうのは、どうにも誉められた事ではない。
ロイエンタールはため息をついた。
「卿は、俺よりも…俺との約束よりもその菓子の方が大事なのか」
からかうような目を向けられると、自分の子供っぽさ際だつようで、ミッターマイヤーはつい言い返してしまう。
「これは…うまいんだぞ、俺は子供の頃からこれが大好きだったんだ。卿の分もあるから食べてみろ」
「…そうか。子供の頃からか、なら俺に勝ち目はないな」
ロイエンタールは肩をすくめ、微苦笑をもらした。

ふと女性ならこんな時「あなたの方が大事なので」とか何とか切り返すかもしれないという考えが、ミッターマイヤーの頭をよぎる。
しかし、あいにく貴族の若様たちのような言葉遊びは、彼は苦手なのだった。


日も落ちかけた公園のベンチに陣取ると、辺りには2人の影しかない。
こんな時間にこんな場所で軍人2人が菓子をぱくついているのは、なかなか希な光景だろう。

「コーヒーもちゃんと買ってきたから」
ミッターマイヤーが、ガサゴソと紙袋から取り出したのは、掌におさまるサイズのまだ温かな焼き菓子だった。
小麦粉と卵とバターがふんだんに使ってあり、中には種類によって色とりどりのクリームが入っている、オーディンっ子ならお馴染みの菓子で、この前線基地にもしっかり出店が出来ているのだ。
ロイエンタールは、手渡された小さな焼き菓子を、しげしげと珍しいものを見る目つきで眺めている。
貴公子然とした彼には、なかなか不釣り合いな光景である。
「このような雑な食べ物は、卿の口には合わないのかもしれないが……」
「いや、なかなか旨いぞ」
一口かじってみて気に入ったのか、コーヒーとともにたいらげてしまった。


ミッターマイヤーは、少しホッとした。
口に合わないのでは、と心配したのは本気であった。
ミッターマイヤーの少年時代に下町では知らぬ者がいなかったこの菓子を、育ちの良いロイエンタールが食べつけていないのは容易に想像がつく。
それでも物珍しげな顔をしながら口にしてくれた事を、嬉しく感じる。



今だに、ロイエンタールがどうして自分などと一緒にいるのか、ミッターマイヤーは不思議であった。
長い足を投げ出して座っているロイエンタールは、まるで物語から抜け出た騎士のように、優雅な風格がある。
たとえ公園のベンチで紙コップのコーヒーをすすっていたとしても、だ。

彼が自分よりも数段優れた人間であることを、ミッターマイヤーは知っている。
それは、一年という年齢の差ではとうてい埋められないものだ。
彼は、ミッターマイヤーがそれまで見知っていた人間とは、誰とも似ていなかった。
彫像のような美貌と、天性の怜悧さと叡智を持ち、育ちのせいかごく自然に他人の上に立つ洗練さがあった。
高貴さとどこか醒めた観察眼を持ち合わせていた。
冷笑癖があり皮肉な表情を見せるため、周囲の人間の中には時おり彼から侮蔑されているように感じている者もいた。
しかし彼は、自分が評価しない人間からの評判など、一向に気にしなかった。

ロイエンタールは、自身を高める事に手を抜かなかった。
この己を律し高みをめざす志に、ミッターマイヤーは何より心をうたれた。
今まで彼は周囲よりも昇進スピードが早いと自負していたが、とんでもない自惚れだった。
ロイエンタールと知り合ってから、自分がこれまで、いかにぬくぬくと呑気に育ってきたかを思い知り、恥ずかしくなるほどだった。
彼と知り合ってから、今まで見た事がなかった、いや、見えなかった景色が、突然見えるようになったと彼は感じていた。
孵化した卵から雛がかえるように、天空の高みをめざせるのではないかと、彼は本気でそう思うようになった。


だが、こうして肩を並べていても、いまだにミッターマイヤーは、ロイエンタールの事を理解しているとは言い難い。

女性たちを魅きつける金銀妖瞳が、どこか物憂げな翳りを帯びる時があるのを、彼は気づいていた。
けれど、その理由までは解らない。
ロイエンタールが、決して家族や過去の話をしない事。
年齢の割に女たちと手慣れた交際をしながら、女性について話す時に敵意のようなものが見え隠れする事にも、気づいていた。
だが、彼が抱えている何かを慰めたりするような上手な言葉を、ミッターマイヤーは持たなかった。
彼の役に立ちたいと思っても、気のきいた事の言えない自分がもどかしかった。
そんな自分の無力さが、悲しくなる時があった。
それでもロイエンタールは、彼の隣にいるのだった。


「……どうした?」
黙り込んだミッターマイヤーに、ロイエンタールが尋ねる。
その口調が思いがけないほど優しくて、少し切なくなる。
「これ、気に入ってもらえて良かった」
ミッターマイヤーは紙袋を抱え直し「まだたくさんあるから」と言うと、ロイエンタールがまた苦笑した。

そろそろ夕星の見える頃あいだと、茜と濃紫が混じるような空を見上げると、ロイエンタールもつられたように空を見た。
まだ短いつきあいの中でひとつわかったのは、ミッターマイヤーが笑顔を見せると、彼も穏やかな顔を見せてくれるという事だ。


ただ、隣にいる事しかできないけれど。
悲しい顔を見せないように。
彼の孤独が癒えますように。

 
 

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