ひどく純粋な瞳

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彼が、泣いている。

軍服の上着だけ脱いだ無造作な姿で、殺風景な基地の部屋の簡易ベッドに腰かけ、声を抑制して泣いていた。
悄然として、しおれた花のようであった。
冬の大気のように澄んだ灰色の瞳に、靄がかかり、水を湛えて薄く煙っている。
ドア口で腕を組み佇んでいるロイエンタールの視線に気づくと、その曇った目を両手で隠して、指の間から涙がこぼれた。

今日、艦が一つ、星の中で沈んだ。
同期が何人も乗っていたと、ミッターマイヤーは言う。
無謀な、上からの命令で、無駄にその戦艦は沈んだ。
だから、やりきれないのだと言う。
戦場では当たり前で仕方のない事かもしれないが、ほんの少しのやりようで避けられたかもしれないのに、誰かの気まぐれな命令で、あの艦に乗っていた者は全員消えた。
それが軍人なのだと、規律を学んだ態度で理解していても、彼は悲しむのだった。

情が強い。
誰かのために泣いたり怒ったりするミッターマイヤーは、懸命で、頑是無い子供のような純な烈しさがあり、どこかいじらしい。

なぜ軍人になったのかと、互いに話した事があった。
「他にやりようがなかった」と言うのがミッターマイヤーの答えで、彼らのような身分は、何もしなくても徴兵されて最前線に送られるのだ。
だから、少しでも自分の運命は自分で決めたいと。
弱い者たちを見ては憤り、心を痛め、
「俺は踏みつけられる側だからな」と笑うが、彼が言うと、その言葉が少しも自嘲には聞こえず。
凛として、小気味の良い笑みだ。


ロイエンタールは偽善者が嫌いで、偽善を行っているとも気づいていない人間が苦手だった。
そうした者は、いざ逆境になると決まってそれまでの親切げな態度が剥がれ落ちるのだ。

だが、ミッターマイヤーは子供じみた正義感で、誰に頼まれるわけでもなく、あちこちにぶつかり自分をすり減らして、軍の中で敵ばかりつくっている。
彼は、軍人として不要でよけいなものを、たくさん持ったままだなのだ。
それは、ロイエンタールが持ち得ないもの、誰もがおとなになるにつれ削ぎ落としてしまうものだった。
ふとした時に、こうした彼の痛々しい純粋さに、ロイエンタールは憐憫を覚える。
バカな生き方だと思う。
まだ若く無名な彼が戦場で見せる勇烈さは、下級兵士たちを魅了している。
だが、おそらく、その抱えているよけいなもののせいで、彼はより多くの者から愛され尊敬を得るだろう。
ちょうど今、ロイエンタールが感じているように。

不意に、泣いているミッターマイヤーが、どこか得体の知れない生きものに見える。
自分とは種族の違う、綺麗な生きもの。天使。


隣に座って、肩に手を回す。
一回り小柄な肩が、小さくしゃくりあげた。
温かな血の通っている体だ。
彼に触れてみて、ロイエンタールは初めて自分の体がひどく冷たい事に気づいたのだ。
一人だけなら孤独を感じないという事すら、彼は知らなかった。

ミッターマイヤーは、俺のために泣くだろうか。

優しい色の髪に手をさし入れ、あやすように抱きしめながら、誰かのために彼が泣くのを見るのがひどく嫌である事に気づいた。
初めて覚えた執着に、戸惑いさえ覚える。
(俺らしくもない)
少し落ち着いたのか、腕の中のミッターマイヤーが体の向きをかえ、小声で「すまない」と言う声が胸のあたりで響いた。
その瞬間、悟る。
彼は、きっと俺のために泣くだろう。


淡い霧のような瞳に滲む透き通るしずくを、静かに拭ってやる。
温かな体を腕の中におさめながら、荒涼とした冬の湖のような寂寥が、ロイエンタールの胸に広がっている。
違う種類のものと共にいるのは、ひどく切ない。

けれどその澄んだ瞳の、涙のひとしずくは、ロイエンタールの中に巣くう孤独から、どこかへと繋がる一本の細い糸に思われた。

 

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