boys don't cry 2

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 同僚に相談してもどこにも適当な場所が見つからず、しかたなくその晩、アバッキオは少年を自分の家に連れてきた。
 ブローノはわがままも言わず、扱いやすい子供だった。
 アバッキオがデリで買ってきた出来合いの総菜を黙々と食べた。食べ終わると後かたづけをし、促されるとシャワーを浴びて、少し読書をして、用意してやった毛布をかぶってソファで眠った。
「……ねえ、お兄さん」
「なんだ?」
 丸くなったブローノが、寝る前にぽつりとつぶやいた。
「父さんは大丈夫だと思う?」
「……ああ、大丈夫だよ、きっと」
 ベッドに横たわっていたアバッキオはそう答えるしかなかった。
 だが、警察は一介の漁師に警護などつけないだろう。
 金のある奴は私的にボディガードを雇う。
 ブローノの父に誰がそんなことをしてくれるというのか。
 風がぱらぱらと安普請のアパートの窓を叩いた。
 霧雨はまだやまないようだった。


 少年が落ち着ける先はなかなか見つからなかった。
 いざとなったら施設に入れるしかないな、と、少年課の刑事がため息をつく。
「あの子のお父さんは……」
 アバッキオはおそるおそる口に出してみた。
「誰か警護がついてるんでしょうか。あのままでは…」
「さあね」
 少年課の刑事は肩をすくめる。
「ずっと意識不明だからなあ、そんなに心配することないんじゃないの?」
 それ以上アバッキオには何も言うことができなかった。たかが新人の巡査が刑事に意見するなどもってのほかだ。

 ブローノは、昼間は毎日のように病院に通っていた。学校は休学している。
 アバッキオも仕事があるので、面倒を見てやるわけにはいかないが、誰かの助けなど必要もないくらいブローノはしっかりしていた。
 食事は全部ブローノがつくった。
「……父さんが漁にでている間は、全部僕がやってたから」
 料理の腕をほめると、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ありがとう。ここにいる間は毎日つくるよ、お兄さんにできるお礼ってそれくらいしかないから」
 はにかむように言う姿からは、本来はよく笑う少年の素顔が伺える。
「よけいな気を回すなよ。子供のくせに」
 子供に気を使われているのが照れくさくて、おかっぱ頭をぐしゃぐしゃとかきまわすと、ブローノはくすぐったそうな顔をした。

 父親の病状のことを、ブローノは人前では口にすることがなくなっていた。
 アバッキオも聞かないようにしていた。なんと言って良いのかわからなかったからだ。うまい慰めの言葉も見つからず、かといって何かしてやれるわけでもない。
 このまま意識が戻らなかったら……。
 そんなことを考え出すと、アバッキオですら重苦しい不安に押しつぶされそうになる。
「おまえ、ずっとここにいていいんだぞ。どうせ俺一人だしな。そのうちお父さんも目え醒ますだろ」
 アバッキオの気休めに、ブローノはもう一度嬉しそうに「ありがとう」と言った。
 週末、つきあっていた女を呼ぶ約束を取り消したことを、アバッキオはブローノには内緒にしておいた。


 そんな日々は、やがて突然断ち切られた。
 ある晩、ブローノが寝ているはずのソファにいないことにアバッキオが気づいた時にはもう手遅れだった。


 父親の病室で、血塗れになったブローノを発見した看護師に、少年はいたって冷静に警察に連絡してくれと頼んだという。
 彼の足下には、すでに事切れた二人の殺し屋が横たわっていた。
 父親を狙って侵入してきた殺し屋は、目をナイフで潰され、後ろから喉をかき切られていた。それは冷静で、周到なやり方だった。
 ただの子供が、どうしたら大のおとなに対抗できるのか、ブローノはずっと考えていたに違いない。

「どうして……」
 取り調べ室で、簡素な机の向こうのブローノと対峙したアバッキオは、全身が震えているのを感じた。
「どうして、あんなことを……」
 それは、半ば自分に向けられた問いだった。
 どうして、もっと少年の話をちゃんと聞いてやらなかったんだろう。新人だからって上に対して言いたいことを飲み込んで何になったのだ。
 こういう人たちを護るために、警官になりたかったんじゃないか、お前は……。
「お兄さん、ごめんね」
 粗末な椅子に腰掛けたブローノは、潔いほど淡々としていた。
「でも、こうするしかなかった。誰も父さんを護ってくれなかったから、僕がやらないと」
 きっと、あの病院で出会った時から、そしてアバッキオのアパートで笑っていた時も、少年はずっと知っていたのだ。
 誰も、弱い父親を護ってはくれないと。
 そして、どうやったら自分にそれができるのかと、彼はずっと考えていたのだ。あの時も、あの時もずっと。
 アバッキオは無力感に打ちひしがれ、思わず机に突っ伏した。
 いったい何をしてたんだろう、俺は。
「お兄さんのせいじゃないよ、自分を責めないで。アバッキオは責任感が強すぎる」 
 …僕なんか放り出してもよかったんだよ。
 そう囁いて、ブローノが小さな手を伸ばす。
 アバッキオはその手をすがるように握った。どっちが大人だか、まるでわからなかった。
「ありがとう、お兄さん……アバッキオ。親切にしてくれたことは忘れません」
 短い間でも一緒にいれて楽しかったと、少年は少しだけ寂しそうな笑みを口元に浮かべた。
 この部屋を出たら、彼は施設に送られるのだ。
 不意に、アバッキオは気づいた。
 この少年は弱い者を護るために、これからもずっとその身を捧げるだろう。
 きっと、そんな生き方をする。
 それでも前を向き続ける。
 少年の背負ったあまりに重すぎる十字架に、アバッキオは吐き気がしてきた。
「いつか、また、きっと……」
 アバッキオの最後の言葉は、冷たい廊下の向こうに消えていった。
 
 

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