それから8年の歳月が流れた。
アバッキオの人生は大きくかわっていった。
歳月とともに理想は色褪せ、彼は少しずつ不正を受け入れる事を覚え、感覚を麻痺させていった。護るべき対象だった市民を唾棄すべき存在に見えるようになり、汚れた金を平気で受け取り、犯罪を見逃した。
やがて彼の不正から同僚が死に至ると、彼は警察を追われた。
何もかも失ったアバッキオは、とことんまで墜ちていった。酒と女に溺れ、闇の中を這いずり回り、野良犬のようなその日暮らしを続けていた。
何も考えず、ただ生きているだけの日々。
もうこの街のどこにも、彼の行くところはなかった。
朝から弱い霧雨が降っていた。
前夜からの酒が残っていたアバッキオは足をもつれさせ、道ばたに倒れた。
灰色の空から、止めどなく雨が、石畳に仰向けになった彼の上に降りしきる。
絵はがきみたいに綺麗な青い空と、優しい海風が吹く街だ。それでも、たまにはこんな陰鬱な日もある。
着古したコートに泥がはねるのもかまわず、アバッキオは冷たい石の上に横たわっていた。
頬をうつ雨の感触も、悔恨も痛みも、もう何も感じなくなっていた。
その時一台の車が、通りの脇に止まった。
黒い大型のメルセデス・ベンツ。暗殺防止のため、改造して装甲を厚くしてある。まともな奴が乗っている車じゃない。
後部座席のドアが開いた。
こんな雨の日に、白いスーツに、白いコート。
車から降りた人物の足元を見て、アバッキオは口元を歪めた。
後ろから傘を差し掛けている奴がいるせいで、スーツは汚れることなく眩しい白のままだ。
黒い髪。揺れている。
切りそろえた髪の下の顔は、若い青年のものだった。
「お兄さん」
優しく、そして毅然とした声。
ブローノ・ブチャラティ。
この街を牛耳るギャング・パッショーネの、若き幹部。
その名は、夜の街を彷徨っていれば、自然と耳に入るようにまでなっていた。
力の行使者。そして街の治安の守護者。
「また会えたね」
ブローノは手を差し出した。
不意にアバッキオは笑い出した
ブローノ。
俺を連れて行ってくれるのは、お前なんだな。
お前が俺を連れて行くんだ。
霧雨に煙る街が、遠く霞んで見える。
世界はこんなにも美しい。
弱い者を護る生き方をするんだ。
アバッキオは手を伸ばした。
自分があるべき場所に、ようやく還れた気がした。
(初出:2014.03.21)
(サイト掲載:2015.02.18)
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