boys don't cry 3

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 それから8年の歳月が流れた。
 アバッキオの人生は大きくかわっていった。
 歳月とともに理想は色褪せ、彼は少しずつ不正を受け入れる事を覚え、感覚を麻痺させていった。護るべき対象だった市民を唾棄すべき存在に見えるようになり、汚れた金を平気で受け取り、犯罪を見逃した。
 やがて彼の不正から同僚が死に至ると、彼は警察を追われた。

 何もかも失ったアバッキオは、とことんまで墜ちていった。酒と女に溺れ、闇の中を這いずり回り、野良犬のようなその日暮らしを続けていた。
 何も考えず、ただ生きているだけの日々。
 もうこの街のどこにも、彼の行くところはなかった。



 朝から弱い霧雨が降っていた。
 前夜からの酒が残っていたアバッキオは足をもつれさせ、道ばたに倒れた。
 灰色の空から、止めどなく雨が、石畳に仰向けになった彼の上に降りしきる。
 絵はがきみたいに綺麗な青い空と、優しい海風が吹く街だ。それでも、たまにはこんな陰鬱な日もある。
 着古したコートに泥がはねるのもかまわず、アバッキオは冷たい石の上に横たわっていた。
 頬をうつ雨の感触も、悔恨も痛みも、もう何も感じなくなっていた。

 その時一台の車が、通りの脇に止まった。
 黒い大型のメルセデス・ベンツ。暗殺防止のため、改造して装甲を厚くしてある。まともな奴が乗っている車じゃない。
 後部座席のドアが開いた。
 こんな雨の日に、白いスーツに、白いコート。
 車から降りた人物の足元を見て、アバッキオは口元を歪めた。
 後ろから傘を差し掛けている奴がいるせいで、スーツは汚れることなく眩しい白のままだ。
 黒い髪。揺れている。
 切りそろえた髪の下の顔は、若い青年のものだった。
「お兄さん」
 優しく、そして毅然とした声。
 ブローノ・ブチャラティ。
 この街を牛耳るギャング・パッショーネの、若き幹部。
 その名は、夜の街を彷徨っていれば、自然と耳に入るようにまでなっていた。
 力の行使者。そして街の治安の守護者。
「また会えたね」
 ブローノは手を差し出した。
 

 不意にアバッキオは笑い出した
 ブローノ。
 俺を連れて行ってくれるのは、お前なんだな。
 お前が俺を連れて行くんだ。
 
 霧雨に煙る街が、遠く霞んで見える。
 世界はこんなにも美しい。
 弱い者を護る生き方をするんだ。 
 
 
 アバッキオは手を伸ばした。
 自分があるべき場所に、ようやく還れた気がした。





(初出:2014.03.21)
(サイト掲載:2015.02.18)

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