刑事×水商売

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店はS市の繁華街でも治安のよくない地区のど真ん中にある。
狭い路地に、風俗店や深夜営業のバーがひしめいているあたりだが、深夜を過ぎているせいで、裏通りにはあまり人はいない。
それでも億泰は鋭い目つきで周囲を見まわした。
この界隈に棲息する者が刑事なんかと関わってると知れたら、命取りになるのは目に見えている。
どれだけ警戒心を持っても足りないくらいだろう。

「おめーが刑事になってるとはな……」
億泰は呆れたような顔で、ダボッとしたズボンのポケットに手をつっこんだ。
「まあな」
言葉少なに仗助は答えた。
彼の祖父は警官だったので、友人たちは仗助が高校を卒業したあとは警察官になることを既定路線だと思っていたし、その通りになっただけなのだが、知り合いでもなかった億泰は仗助の個人的な事情など知らないのだろう。
もっとも、一目見ただけで名前まで思い出してくれたのだから、仗助の事を覚えていてくれたことは確かだ。
そのことに仗助は、心の奥でほんのりとした喜びを覚えていた。

高校時代、直接言葉を交わしたことはなかったが、虹村億泰は、長いこと仗助の中で強く印象に残り続けていた。
妥協のない独特のヤンキーファッションで周囲を圧している点で、仗助は億泰にどこか自分と似ているものを感じていた。
ただ、杜王町育ちの仗助と違い、高校から転入してきた億泰は、見るからに周囲と馴染んでいなかった。
1年の時は、いつも3年生に在学中だった兄と行動していたし、2年生以降はあまり学校には来ない一匹狼だった。
仗助の友人の広瀬康一がつき合っていた(今もつきあっている)山岸由花子がずっと億泰と同じクラスだったが、クラス行事にロクに協力もしないし、保護者面談もなんやかやと理由をつけて出てこようとしないので、教師が困っていると噂をしていたことがあった。
康一にぞっこんの由花子が他人の話をするなんてのは滅多にお目にかかれない珍事で、仗助は妙にその事がずっと頭の中に残っていた。
それだけ億泰に独特の存在感があったのだろう。
3年になる頃にはほとんど学校で見ることがなくなって、気がつけば転校していたらしい。
一度くらい、あいつと話をしてみたかったな、と卒業してからも漠然と思い出すが、二度と会うことはないだろう、仗助にとっては億泰はそんな奴だった。

それが、刑事になって2年がたった今、立場を替えて目の前に億泰が立っている。
高校時代は仗助とあまり変わらない身長だと思っていたが、仗助の背が伸びたせいで今は軽く見下ろすようになっていた。
杜王町から姿を消したあと、億泰はしばらく東京にいたはずだ。
タンクトップに金の鎖のネックレスをつけている様子は、この辺りのヤンキー上がりの連中よりも垢抜けている。

仗助は革ジャンのポケットからタバコを取り出してくわえると、億泰にも差し出す。
二人で火を分け合い、しばらく黙ったまま煙を吐き出す。
「で、何の用だよ」
汚れた路地のアスファルトの上に灰を落としながら、億泰がためらいがちに尋ねる。
「……おめー、マジでゲイになったんじゃねえよな?」
「へ?」
「高校ん時、おめー女からえらくモテてたからよぉ、そっちの気はねえと思ってたが……」
「ま、まさか!ちげーよっ」
仗助は慌てて首を振った。
「だよな、そんならわざわざ手帳なんか見せて呼び出さねえもんな、ははは……」
意外に人懐っこく億泰は笑った。
いかつい顔つきが急に幼いものに見えて、仗助は思わずその笑顔に引き寄せられる。
さっきから、どこか変な気分になっているのは確かだ。
億泰のむき出しの腕や、タンクトップの布地に形作られた胸板につい目が行ってしまう。
仗助は紛れもなく異性愛者だったし、今は特定の彼女はいないが、過去には何人かの女ともつきあった。
タンクトップ姿や水着の女に目が引き寄せしられることは普通にあったが、男を見てこんなに意識するとは思わなかった。
きっと、あの店の独特の空気感にあてられたのかもしれない。

動揺を悟られないうちにと、仗助は口を開いた。
「おめーの、兄貴のことで、ちょっと聞きたいことがある」
すっと億泰の顔から表情が消えた。
「……兄貴が何かしたのか?」
「こっちもそれを聞きてえんだよ、今どこにいるのか教えてほしい」
「だから、何だって兄貴を探してんだよ」
警戒心を露わにした目で億泰は仗助を睨んだ。
まるで番犬のようだ。
「……音石明って奴、知ってるだろ」
「知らねえ。誰だよ、そいつ」
仗助の質問に、億泰は首を振る。
本当に知らないように見えた。
「そいつからおめーの兄貴の名前が出た」
壁でタバコの火を消しながら、仗助はゆっくりと説明してやった。

市内のライブハウスの店員の音石明が逮捕されたのは、数日前の事だった。
容疑は窃盗。
なんと数千万近い額の現金や宝飾品を盗んでいたのだ。
ミュージシャン志望で自己顕示欲の強い音石が、たった一人でこれだけの大それた窃盗を行えるとは考えにくく、尋問を続けたところ、虹村形兆の名前が出たのだった。
形兆のおかげで不思議な力を得て、やったのだと。
思いがけないところで、高校時代の同級生の兄の名前が出て、仗助は息を飲んだ。
捜査課の他の刑事たちは、音石が罪状逃れのために適当な事を言っているのだと半信半疑だったが、仗助にはこれが真実だとわかった。
……スタンド使いだ。
仗助も幼い頃からその能力を持っていたから、わかる。
形兆のせいで、音石はその能力を身につけたのだろう。

捜査課では『不思議な能力』なるものを信じる者はいなかったが、窃盗事件に絡んでいる虹村形兆という男の捜索は行われた。
数年前、弟と一緒に東京から杜王町に現れ、いっとき住んでいた事があったが、やがて東京へと戻った事までは確認された。
しかし、現在の形兆の足取りは全く掴めない。
そんな中、弟の億泰がS市内のゲイ専門のクラブで働いている事がわかった。
億泰への聞き込み役は、仗助が指名された。
高校で同級生だったことと、まだ若くそれなりの服装をすれば閉鎖的で警察を嫌う店にもスムーズに入れてもらえるだろう、というのが理由だ。
おかげで普段は仕事で着る事のない革ジャンにジーンズというカジュアルな格好で、この店を訪れることになった。


「そういうわけでよ、おめーの兄貴に、ちょっと話聞かねえとなんねえんだよ」
仗助が肩をすくめると、億泰は抑揚のない声で答えた。
「兄貴の居場所は俺だって知らねえよ、ずっと連絡もねえしな」
「連絡ねえって、どれくらいだ」
「さあ……もう何ヶ月も声も聞いちゃいねえ」
短くなったタバコを手で押さえながら、億泰は視線を落とす。
……連絡がないなんて嘘だ。
仗助は直感的に見抜いた。
そもそも億泰がこんな店で働いているのは、兄に送金しているからだ。
仗助はそう思っていた。

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