砂の城 3

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ミッターマイヤー家で日だまりにくるまれるように育つ傍ら、一歩外に出ると、愛する人の中にいる時にはわからなかった現実がある。
父や母と一緒にいる彼は守られていたが、一人で外にいるフェリックスに向けられる人の目は、時に容赦がなかった。

帝国と同盟の長きにわたる戦争と、まばゆい輝きを放っちながら墜ちた巨星たちが、まだ人々のうちから薄れぬうちである。
オスカー・フォン・ロイエンタールの記憶も、まだ昨日の事のようにそこかしこに残っていた。

ロイエンタールを知る者たちのフェリックスに向ける視線は、様々であった。
憐憫、気まずさ、ある種の畏怖、中にはまだ少年の彼を危険な猛禽を見るような目で見る者もいる。
様々な好奇に晒される事に慣れた彼は、それらを軽くあしらうようなやり方を身につけた。
それと同時に、周囲をやや醒めた気持ちで見る資質が育まれた。
辛辣な分析や棘のある言葉を少しずつ覚えたが、それらをひけらかすつもりはなかった。

人となりはともかく、ロイエンタールが反逆者であったということ、にも関わらず死してなお人口に膾炙する巨星であったことは、誰に教えられるともなくフェリックス漠然と理解していた。


もし、ウォルフガング・ミッターマイヤーの元で育っていなかったら、もしかしたらフェリックスは自らの複雑な生まれを呪うようになったかもしれない。
かつてオスカー・フォン・ロイエンタールがそうであったように。


様々に煩雑な人の視線を受けて育ちながら、フェリックスが惑う事がなかったのは、彼が常にウォルフガング・ミッターマイヤーを指針としていたからだ。
幼き日、父と言えば誰になんと言われようとウォルフガング・ミッターマイヤーただ一人だった。
会ったこともない生物学上の父は彼にとって茫洋とした霧の彼方の何か、なんら実体のないものだった。

ミッターマイヤー、父は、フェリックスに取って一筋の光が照らす航路のようなものだった。
何かをする度に父の顔を思い浮かべ、父に褒めてもらう事が目標だった。
少年期の階段を昇る段階で、誰に認められるより、父にさえうなずいてもらえれば、彼はそれで満足した。
相手にするのも無駄なつまらぬ者に何を言われても一向にかまわない、ただ、父に恥じぬような人間になりたいと願った。
家にいる時は、居心地の良い母の側で甘えながら、いつもどこかで父の姿を追い、父が気づいて顔をあげ蜂蜜色の前髪の間から子供のような微笑みを向けてくれる瞬間が、フェリックスには至福の瞬間だ。
少年の透徹した感受性でもって、この父だけは何があっても信じられると、彼は直感していた。
実際その通りであったし、フェリックス以外の多くの人間もまた、同様にミッターマイヤーの事を信用していた。


ウォルフガング・ミッターマイヤーは、この時期の帝国で最も権力を持つ存在であった。
主席元帥、国務尚書、帝国の至宝。
様々な役割を持っていたが、何にもまして彼は神話時代の英雄の最後の生き残りと人々の目に映り、間違いなく自ら光を放つ恒星であった。
彼は穏やかに粛々と帝国を舵取りし、功を誇ることなく黙々と地均ししていた。
煌びやかな皇帝の影に隠れるようなこの国務尚書は、地味で人の口にのぼりにくい存在であった。
七元帥と呼ばれた元勲の中にあっても、派手な言動が民衆から好まれたビッテンフェルト元帥などに比べると、おとなしい印象だ。

しかし、それだけにウォルフガング・ミッターマイヤー個人を悪しざまに言う声は聞かれなかった。
政敵は大勢いたはずだ。
旧同盟の一部、前王朝の残党、地球教徒、帝政そのものに反対する勢力、幼帝の治世の間隙をぬって不正に利益をはかろうとする者たち……帝国はカオスのような不満分子を内包していたにも関わらず、ミッターマイヤー個人の人格を叩こうとする者はほとんどいなかった。
彼が国務尚書の間に成し遂げた事は分かりづらかったが、その分、彼を語る時には必ず、その人柄……清廉さ、寛容、私心の全くない忠義、誰にへつらうことのない公明正大さが、取り沙汰される。
ウォルフガング・ミッターマイヤーのそのような部分に異を唱える事ができる者は、どこにもいなかった。


幼い頃のフェリックスは、父と一緒にいる時、顔をあわせた人たちは皆、父を見ると親しげに笑みを浮かべ、緑陰を求めるようにして近づいて来るのを何度も見た。
小柄で若々しい父の凛然とした態度は、ひとめで周囲に敬愛の情を抱かせる。


フェリックスは、父の笑顔を見ると、いつも胸にじわりと暖かいものが広がり、満たされた気分になる。
そして少しだけ、胸の奥が苦しくなる。
なぜ、これほどこの人に惹かれるのか、まだ彼はうまく説明できなかった。

だが、もっともフェリックスの心を捕らえたのは、時折垣間見える、父の抱える悲しみのせいだったのかもしれない。
ふとした瞬間に、澄んだグレイの目でぼんやりと遠くを見る癖のあった父。
いつも凛としていた父にそぐわないそんな仕草を見つけてしまった時のフェリックスは、見てはならない秘密を知ってしまったかのように動悸が早くなった。
その瞳が何を見てきたのか、何が映っているのか、幼いフェリックスには知る由もない。
ただ、そんな時の父はどこか消え入りそうにはかなく見え、フェリックスの胸は締め付けられた。
………ぼくの父さん。
血のつながりという確かなものがない事が、こんなに苦しいとは思わなかった。
この人を失ったら自分はどうなってしまうのだろうと思うと、フェリックスは慄然とした。


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