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ロイエンタールと顔をあわせるのは、あの日以来だった。

食堂のテレビは、いつのまにか吹き替えの洋画に替わっていた。

最初に言葉をかわしたきり、ロイエンタールは何も言わずに、ミッターマイヤーが食べ終わるのを待っていた。

「最近、ちゃんと、食べてんのか?酒ばっか飲んでないだろうな」
ミッターマイヤーが食事をかっこみながら尋ねると、
「お前は口うるさい母親のようだな」と、ロイエンタールは苦笑した。

ロイエンタールの母親が、どんな女性かは知らなかった。
いつか、機会があったら尋ねてみようか、と、ミッターマイヤーは思った。

それからミッターマイヤーが食べ終わって一息つくまで、ロイエンタールは無言でテレビの映画を眺めていた。


「……で、どうした?」
お茶をすすりながら、ミッターマイヤーは尋ねた。

あの事件以来、何となくもう会いには来ないんじゃないかと感じていただけに、ロイエンタールが目の前にいる事にホッとしていた。

ロイエンタールは、なにか躊躇しているようだったが、やがて口を開いた。
「移動すると、聞いた」
「え?」
「お前が、本庁に」
「あ、ああ……」

ミッターマイヤーは、驚いていた。
まだ噂レベルの話なのに、もうロイエンタールの耳に入っているとは。

彼自身、まだ迷っている所だった。
署長からも言われている。
本庁が、ミッターマイヤーを戻したいと言ってきている。
おそらく近日中に辞令が来るだろう、と。
“君が来てくれてうちも助かったが、うちの署で埋もれているような人間じゃないと思っていたよ。これでいよいよ中央に復帰だ、おめでとう”

署長の言葉に、喜んで良いのかどうか、果たしてわからなかった。
向こうから放り出しておきながら、ほとぼりが冷めた頃呼び戻すのなんて勝手なものだ、という意地もある。
それに、派閥や出世レースに気を使わずにいられる今の仕事は、気に入っていた。
だが、エヴァの事を考えると、毎日夜中まで家にも戻らず、危険でもあるこの署に長くいるのは、考え物だった。
どちらにしろ、いったん辞令が来たら、警察組織の一兵卒であるミッターマイヤーに断る事はできないのだが。

「さあ……」ミッターマイヤー慎重に言葉を選ぶ。「先の事は、俺にもまだわからん」

「そうか……」
ロイエンタールは、それ以上何も言わなかった。

店主が、咳払いをして、がちゃがちゃとチャンネルをいじりだした。
時計は10時を回っていた。
閉店時刻を過ぎている。


 
 
 
勘定を払って外に出ると、遠く、原色のネオンサインが、夜を照らしている。
この街は決して眠らない、夜となく昼となく、人が行き交っている。
それでも上を見上げると、わずかばかりの星がかすかな光を放っていた。

先に外に出ていたロイエンタールが、不意に口を開いた。
「……俺がもし、死んだら」
「え…?」

……俺の持ってるものをお前に全部やるよ、とロイエンタールは淡々と言った。

「なんだよ、いきなり」
突然の申し出にミッターマイヤーは面食らった。
「本当さ。形見分けだ。受取人はお前しかいない」
「その若さで何言ってんだか」
「もう会えなくなるからな」
「そんなことないだろう」
「いや、お前は光の中を歩くんだ。俺とは住む世界が違う」

ロイエンタールが振り返り、色違いの瞳と目があった。
ミッターマイヤーはため息をついた。

「いつだって会えるだろ、お前は俺の居場所、いつでも知ってるじゃないか」
「そうだな…」
ロイエンタールが、ふっと笑う。





別れ際、ちゃんとメシ食えよ、ともう一度念を押して、ミッターマイヤーは駅への道を走り去った。
小柄な後ろ姿が雑踏に消えて行くのを、ロイエンタールはそこに佇んで見送った。

本当は二度と逢わないつもりだったのだ。
彼に傷を負わせてしまったあの時から。
でも、やはり一目顔を見ずにはいられなかった。

夜風が急に強くなった。
「なあ、ミッターマイヤー」
闇の中、一人残されたロイエンタールは、誰にともなくつぶやく。
「俺のこと、本気で心配してくれんの、この世でお前一人だけなんだよ…」

たぶん、お前は全然わかってないと思うけど。

 

 
 
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