あま銀

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第93話


今朝は雪が止んだ。
早朝の冷たい空気の中、ミッターマイヤーはバイエルラインとともに、疾風カフェの開店準備を始めた。
とりあえず、何かやる仕事があるのが救いだった。


「バイエルラインはさ、仕事に行きたくねえなあって思った事ないの?」
「ちょっと前まで、ずっとそんな感じでしたよ、俺は」
床をモップで拭きながらバイエルラインが答える。
ざっくばらんなその様子に、ミッターマイヤーは、コップを磨いていた手を止め、小さく笑った。
「そっか……俺は今がそれだ」
こうやって、疾風カフェでバイトしてるのは現実逃避だった。


帰ってきてからと言うもの、以前と何も変わりなかったかのように、町の人たちは迎えてくれた。
ノイエ・サン・スーシの怒濤の日々が嘘のようだ。

華やかな宮廷の裏でどろどろと渦巻く感情、提督同士の妬み、強烈な既得権意識と自己顕示欲……。
すべては、田舎でのんびり育ってきた平民のミッターマイヤーには無縁のものだった。
もちろんミッターマイヤーにも、上に行きたいという欲はある。
だが彼にとってそれは正々堂々と勝負して得るもので、手段を選ばず陰謀を巡らし相手を引きずり降ろして得るものではない。
でもそんな甘い考えは一切通用しない世界だった。
徹底的に叩かれて、初めて彼は身を持ってそれを知った。

自分でも少しは自信を持っていたパフォーマンスも……正式メンバーには適うはずもないレベルだった。
それがいちばん辛かった。
思い知った現実。
フレーゲル男爵に言われたように、あの場所で、彼は誰にも必要とされていなかった。

「俺、うぬぼれてたんだな……」
ぽつり、とミッターマイヤーは呟いた。

ここには、幼い頃から顔見知りで、ミッターマイヤーの良い面も悪い面も理解してくれる、気のいい人たちがいる。
そんな人たちから甘やかされて、自分の実力を勘違いしてしまった。

「俺ぐらいの人間、都会に行けば珍しくもない、いくらでも替えがいるんだって。本当に上に行ける人って、もっと選ばれた人たちで……」
卑下するわけでもなく、真剣にそう思う。

「そんなにいやなら、帰ってきたらいいっすよ」
見たこともないほど落ち込んでいるミッターマイヤーに、バイエルラインは慰めの言葉を探した。
「この町はいつでもあなたの味方っす。みんな首を長くして待ってるんですよ、あなたが帰ってくるのを」
誠実なバイエルラインの物言いに、ミッターマイヤーはほっと息を吐いた。

生まれ故郷は、いつも優しい。
けれど、ただ逃げているだけだと、心のどこかでまだ納得できない自分もいる。
「そうだなあ……」
南側の窓から見える光る朝の海のまぶしさに、ミッターマイヤーはぼんやりと目めた。


誰かが勢いよく扉をあける。
「ちょっと、ちょっと、まだ開店時間じゃないよ……」
CLOSEDの表示がしてあるはずなのに、と言い掛けてバイエルラインが口をつぐんだ。

逆光の中、長身のシルエットが浮かび上がっていた。
とうてい、ここにいるはずのない人間、ここにふさわしくない人の姿に、ミッターマイヤーはきょとんとして、そのシルエットを見上げた。
驚愕したバイエルラインが、口をぱくぱくさせている。
「ロイエンタール???」
よほど急いで来たのか、ロイエンタールは大きく肩で息をしている。
それからこちらを睨みつけるようにして一言「なぜ………」と発し、息を吸いこみ、吐き出した。
「なぜ…電話に、出ない、君は……」

ミッターマイヤーは唖然としていた。
宮中にいるはずのロイエンタールが、突然こんな場所に現れたのも驚きだが、それ以上に、こんなに取り乱したような彼を見たのは初めてだ。
トレンチコートの裾が皺になっているのも構わず、いつも端正に整えられている前髪が乱れている。
だいたいこの時間にこの町にいるという事は、まだ暗いうちに始発の汽車で来ないと無理なはずだ。

ミッターマイヤーがぼうっとしているうちに、やがて息を整えたロイエンタールは、ミッターマイヤーに大股で近づき、一気にまくしたてた。
「出て!電話に。出れなかったらすぐ折り返して!頼むよ。ホント」
怖いほど真剣な口調のロイエンタールに圧倒される。
「そのためにわざわざ、こんなところまで……?」
問いかけを無視して、ロイエンタールは憮然とした顔で質問を返す。
「いつまでここにいるつもりなんだ」
ミッターマイヤーは唇を噛み、下を向いた。
「わかんない……」
「……みんなおまえを待ってるんだぞ」

お決まりの説得の台詞だ。
でも、誰も待ってなんかいない事に、もう気づいている。

「……俺の替わりなんて、いくらでもいるだろ」
子供みたいに拗ねて、駄々をこねているだけなのは、ミッターマイヤーにもわかっている。
ロイエンタールは軽いため息をついて、諭すようにゆっくりと言う。
「馬鹿な事言うなよ、ミッターマイヤー、NGSには君の力が必要なんだ」
「嘘だ。頭数だけそろえばいいと思ってるくせに!」
こらえきれず大声を出すと、ロイエンタールは激しくかぶりを振った。
「頭数だけだなんて、そんなことは……」

話について来られず交互に二人を見ていたバイエルラインが、横から遮った。
「そんなことないなんて、どうせ口先ばっかりだ」
「うるさいな」
バイエルラインの言葉を、ロイエンタールは氷のように一睨みして一蹴する。

しかし、ミッターマイヤーの気持ちは治まらなかった。
「もう放っといてくれよ」
ずっとこらえていたものが、急に堰を切ったようにあふれ出す。
「俺じゃなくてラインハルト様のところに行けばいいだろ。可愛い方が目当てなんだろ。だったら可愛い方に行って、可愛くプロデュースすればいい!」
こんなことはロイエンタールのせいではない、ただの八つ当たりだ。
吐き出してどうなるわけでもないのに、言わずにいられなかった。

ロイエンタールは、ぽかんとした顔でミッターマイヤーを見ている。
「留守電、聞いてないのか?」
「留守電?」
その返事に、ロイエンタールは不機嫌そうに片方の眉をあげた。
「マネージャーからの電話に出ない、折り返さない、留守電聞かない。タレント失格だ」
「……すいません」
思いをぶつけたつもりが逆に叱責され、ミッターマイヤーは反射的に謝ってしまう。
「すいませんじゃなくて」
ロイエンタールはいらいらしたように、髪をかきあげた。
「早く留守電聞いて、今聞いて、今」

慌ててミッターマイヤーが携帯を確認すると、昨日から連続で16件もの留守電が入っている。

「直接喋ったらいいだろ」
バイエルラインのトゲのある言葉に、ロイエンタールは間髪入れず早口で答えた。
「やだ。もう一回同じことなんて言えない。昨日のテンション到底持っていけないし…ほら、早く聞いて?」


あまりの剣幕に気圧されるように、ミッターマイヤーは再生ボタンを押した。
携帯を耳に当てると、ロイエンタールの低い声が流れ出す。

『もしもし、ミッターマイヤーか?…今は1月7日の夜だ』

昨日の夜の声。
夜に留守電を入れて、早朝の汽車でここへ来たのだろか。

『……一回しか言わないから、ちゃんと聞いてくれ。ここ数日、ずっと君のことを考えてる』
いつもの醒めたような言い方ではなく、せっぱ詰まった、どこか……すがるような声。
『……正確には、君のいないNGSの未来を考えて激しく落ち込んでいる……』

留守電の時間制限に引っかかり、何度もかけ直したのだろう。
細切れのメッセージが途切れ、電子音に続いてまたすぐに流れてくる。
『……俺はずっとラインハルト様派と言うか、ラインハルト様をセンターに抜擢しようとしてきた』

……そんな事とっくにわかってたけど。

『……でもどんな逆風の中でも君はめげずに、4ヶ月かけて自分の立ち位置を獲得した。もう君はラインハルト様のシャドウじゃない、NGSのミッターマイヤーなんだ。訛ってるけど、40位だけど、最下位だけど、それが………』

日頃のクールなロイエンタールからは想像できないような力強く、優しい響きの言葉だった。

電話の主は、コートのポケットに手をつっこみ居心地悪そうに佇んでいる。
ミッターマイヤーが凝視している事に気づき、口を歪める。
「良いから早く聞け。こっちを見るな」
感情的な留守電をしてしまった事が照れくさいのか、ロイエンタールは怒ったように背を向けてしった。


耳に当てた小さな機械の中で、まだ昨日のロイエンタールがしゃべり続けていた。
『最下位だろうとそれがどうした!……誰がなんと言おうと、君の替わりは君しかいない。そんな君を売り出すことが、マネージャーとして俺の……』

また時間切れでとぎれたロイエンタールの声の後ろに、誰か人の声がかぶさっていた。
『ああ、ロイエンタールだ。今、NGSの奴らも起きてきたから、かわる』
そして懐かしいNGSの仲間の声、一人一人の声が聞こえてきた。





煎れたてのコーヒーの香りが、開店前のカフェに流れている。
始発で来たロイエンタールは、次の急行ですぐにとんぼ帰りをするという慌ただしさだ。
夕べから何も口に入れていないというロイエンタールに、せめてコーヒーぐらいは飲んでいってもらいたかった。
3人で無言のままコーヒーを啜る、不思議な空間だった。

「正直、二人ともブレイクするのは無理だって、初めから思ってた」
やがてロイエンタールはおもむろに口を開いた。
「で、どっちかって言ったら、ラインハルト様だろうって」
「とうとう、本音が出たな」
横から鬼の首を取ったように口を出すバイエルラインを無視して、ロイエンタールは続けた。

「でも、今回、君が急にいなくなった事で……改めて自分の中で、ミッターマイヤー、君の存在がクローズアップされてる事に気が付いた。君が必要なんだって……」
それからこちらを見ずに、小さくぼそりと呟く。
「なんだろう。なんかこう…可愛いって……」
自分で言った事に慌てたように、ロイエンタールは片手で顔を髪をかきあげ、横を向いた。
カウンターに座ったバイエルラインが、目をつり上げている。

ミッターマイヤーは目を丸くしていた。
今までろくに褒めてもらった事もないのに、今日のロイエンタールは、まるで知らない人のようだ。

ちらりと時計を見たロイエンタールは、テーブルにカップを置き、改めてミッターマイヤーに向き直った。
「これからはちゃんと本気で戦略練って、君を売り出そうと思ってる。だから……帰ってきてほしい」



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ミズタクの神シーンを改変してすみません><
7/29現在、事務所をクビになったアキを連れて、ミズタク独立しそうな気配が……
 
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