呟いたら抱きしめて

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部屋に入って来たミッターマイヤーの姿を見て、長椅子に浅く掛け、グラスを口元に運んでいたロイエンタールの動きが、止まった。
ミッターマイヤーは、素肌に、真っ白なシャツ一枚しか身につけていなかった。
「すまないがロイエンタール、下も貸してくれ」
風呂上がりの体が、赤く火照っている。


二人、ロイエンタールの屋敷に入る直前に、突然の通り雨に見舞われたのだ。
十一月の、夜の時雨である。
濡れた体を温めるため、ロイエンタールはさっさとシャワーを浴びて、ゆったりとした部屋着に着替え、水割りなどを用意して、友を待った。
客用のシャワーを拝借したミッターマイヤーは、丁寧にもバスタブにつかっていたのか、出てくるのが少し遅かった。
そうして、戻ってきたら、その格好であった。

着替えを用意してやったのはロイエンタール自身であるから、今更驚くのもおかしいのかもしれない。

これまで、何度かこの家で一夜を過ごしたミッターマイヤーであるが、風呂上がりにバスローブなどを貸してやると、どうにもサイズがあわずに、必ず袖を余らせ、床を引きずる裾に足を取られて、度々つんのめりそうになっている。
「この家にもっと、普通のサイズの服はないのか」
常々、自分のサイズが小さい事を、あまり快く思ってないミッターマイヤーは、照れ隠しに乱暴に言うのだが、
「そうだな、今度、卿の服も用意しておかなければな」
そうロイエンタールが言うと、少し赤くなって、恥入るような曖昧な顔をする。
彼には、情人の家で朝まで過ごすという経験がこれまでなく、人の家に着替えを置くなどという行為は、どこか怠惰な印象を受けるらしかった。
結局、日々の忙しさにかまけ、それは、何となく伸び伸びになっていた。

その事を思い出したロイエンタールは、雨に濡れた友のために着替えを用意してやる段になって、新品ののシルクの白いシャツを一枚置いておいた。
サイズが合うはずはないが、床を引きずる事はない。
多少の悪戯心もあった。


そんなわけで、ミッターマイヤーは、シャツ一枚しか身につけずにこの部屋に入ってきた。
袖は相変わらず余って手首が隠れ、指先しか見えない。
下半身は太股の半ばまで、隠れている。

(ふむ、良い眺めだ……)
ロイエンタールは、感嘆と情欲とを、ない交ぜにした視線を向けた。
青と黒の瞳がにやりと細められ、唇が我知らずに笑みの形に緩む。

ミッターマイヤーの全身は、運動選手のように引き締まっていた。
しかし、合理的な訓練によって必然的についた筋肉のはずなのに、実用的というよりは、少年がそのまま大きくなってしまったような、子供っぽい肉感である。
むき出しの両脚は、見とれるくらい、真っ直ぐ伸びているが、やはり膝小僧の辺りに、少年らしさが残っていた。
いつもはおさまりの悪い蜜色の髪の気が、水気を含んでストンと真っ直ぐ頬のまわりにかかっているのが、妙に品が良く見え、どこかの小国の王子のようであった。
そうして、照れた様子もなく、裸足で部屋中をぱたぱたと歩く様子は、奔放な少女のようにも見える。
自分の今の格好を、自覚していないらしい。
体操の授業の前に、更衣室で着替えている子供さながらである。

「……なあ、下に何か掃くもの……ロイエンタール?」
「いや、そのままでいい」
ロイエンタールが低くつぶやくと、ミッターマイヤーは、急にその場に立ちすくみ、顔を赤くした。
自分に向けられる熱のこもった眼差しに、ようやく気づいたらしい。
秘密めいた顔で駆け引きをする、という事ができない彼であるが、すでに、情欲の意味は知っている。
ロイエンタールが、教え込んだから。
ベッドに行く前に一杯、と用意したグラスを置いて、ロイエンタールは立ち上がる。
「どうせ、すぐ脱ぐのだから、何も必要ないだろう?」
そんなつもりはないとは、言わせない。


近づいて行くと、ミッターマイヤーは呼吸を詰め、少し後退りした。
シャツからのぞく首や両脚が桜色になり、慌てて、両手で裾を引っ張ってみたりしている。
その仕草はすべて無駄であり、幼気で、ロイエンタールを誘いこんでいる事に気づいていない。

元来、ミッターマイヤーは、軍服に包まれていても、そうでなくとも、健康的で、悪いものを一切寄せ付けない爽やかな雰囲気の持ち主である。
青く固いままの果実のようである。
ところが、短いシャツだけで下半身をむき出しという、中途半端でだらしない感じの、今の姿は、常にはない色気があった。
叱られた子供が、罰を受けているような淫靡さである。
見てはならないものを見ているような気にさせられて、追い詰めてやりたくて、どこかロイエンタールの嗜虐心を誘うのだ。


壁際まで追いつめ、見降ろすと、ミッターマイヤーは羞恥のため、俯いてしまった。
薄いシャツが、しなやかな体に沿って揺れるのを両の瞳で楽しんでから、ゆるく抱きこむ。
熱応力の高いミッターマイヤーの体が、さらに火照って、蜜のような髪の匂いが鼻先をくすぐる。
ロイエンタールの胸に、頬をぴたりとつけ、「明日、服を買いに行くよ」と、ミッターマイヤーが呟いた。「だから卿もつきあえよ」と。
ミッターマイヤーの言葉に、ロイエンタールの体の芯が熱くなり、燃えあがる。
愛おしい、腕の中の存在に口づける。
彼が、この家に、自分以外の誰かの物を置く事を許すのは、初めての事だった。


ロイエンタールさんのシャツを着るみったんが大正義すぎて……

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