The Only Way 2

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ただ無心にミッターマイヤーに憧れ、側に控えている事が、バイエルラインにとって何よりも幸福な時があった。
この思いがただの憧れでなく、奇妙な熱を持ち始めたのは、いつのことだったか。



少し前から、きざしはあった。
あれは、神々の黄昏ーラグナロクという壮麗な名を持つ叛乱軍との闘いだった。
バイエルラインはミッターマイヤー艦隊の分隊を任され、ハイネセン近くのエリューセラ星域にいた。
ロイエンタール提督を乗せた船が、ミッターマイヤー艦に接近してくる。
なぜだろう、味方同士の作戦会議だというのに、にわかにバイエルラインは不安になり、自らの艦隊にのみ第一級警戒体制を敷いた。
まるで敵に備えるかのように。
味方であるはずのロイエンタールを、なぜ敵のように感じたのか、理由を問われても、あの時は理論的に説明できなかった。
今なら、もう少しうまく説明できるだろう。
ただ、あのときは漠然と予感がした、としか言いようがない。
不安、恐れ……。
漆黒と蒼の瞳を持つ提督によって、ミッターマイヤーがどこかへ連れ去られてしまうかのような、錯覚。

とにかくバイエルラインは危険を察知し、自分の勘に従い行動した。
ミッターマイヤーを守るためだった。
あらゆる危機から遠ざけたかったのだ。
それがたとえ、提督の親友であったとしても。
そのために、できることは何でもする。
ただ、それだけの事だった。


……なあ、バイエルライン、余計な事を心配しなくてもいいんだぞ?

そうミッターマイヤーから諭されたのは、ラグナロクが終わって、しばらくしてからの事だった。
戦乱のあいだ、ミッターマイヤーは、バイエルラインのとった行動に気づいていなかったのだから、おおかた後になって、誰かがご丁寧に注進申し上げたに違いない。

……親友同士が会うのに、何を物々しく警戒などする必要があるのか。

ミッターマイヤーは、いたずらを見つけられた子のようなどこか拗ねたような口ぶりで言った。
その言い分は、バイエルラインにだって理解できるのだ。

この方は、親友も部下も、露ほども疑おうとなされない。
ご自分がまっすぐな綺麗な気持ちしか持ち合わせておられないから、計算だとか何かねじ曲がった企みなど理解されないのだ。

それまでのバイエルラインなら、浮かんだ言葉をそのままずけずけと言い返していただろう。
しかし、目の前のミッターマイヤーの蜂蜜色の少しくせのある前髪からのぞく瞳は、はっとするほど純粋だった。
その声はどこまでも凛としていて、一点の曇りもない事が伺い知れた。
何も知らない子供から同意を求められるような目でじっと見られて、思いがけずバイエルラインは狼狽した。
このとき彼は何も言い返せなかった、何か反論などしてはいけないような気がした。


……ミッターマイヤー提督には、見えておられない?
いや、違う。
バイエルラインに気づいた事を、あれだけ聡明な方が気づかないはずがない。
……ミッターマイヤー提督は……。

頭のどこかで、いくつもの考えが泡沫のように浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。
これは奇妙な感覚だった。
胸の奥のしこり、消えない違和感。
このどこかズレた感覚は単なる自分の勘違いではないかと、生じたものを押さえ込もうとした。
ミッターマイヤーが信じる無実の人間に疑惑をかける自分を恥じもした。





それまでバイエルラインは、ミッターマイヤーの口から出た言葉を、少しも疑った事はなかった。

バイエルラインにとって、ミッターマイヤーという人間は完璧な聖なるイコンだった。
初夏の風のように爽やかで毅然としたひとがら、澄んだ明朗な瞳、くしゃりと顔全体で笑う時の顔、小柄で親しみやすい風貌……全てが人から愛されるために造られたように思える。
帝国軍でこれほど敬愛されている提督はなく、これほど人々が誇りにする提督もいない。
ミッターマイヤーを取り巻く全てを、バイエルラインは愛していた。
こんな事が起きる前は、ロイエンタールの事も尊敬していた。
彼にとって、ロイエンタールはあくまで「ミッターマイヤー提督の親友」だった。
帝国でもっとも怜悧で矜り高く、貴婦人たちが胸をときめかせる美貌の提督。
このような優秀な友を持ち「双璧」と称されるミッターマイヤーがただ誇らしく、まるで神話の中の英雄を見るように二人のことを見た。
憧憬の視線は、当然ミッターマイヤー夫人のエヴァンゼリンにも向けられた。
バイエルラインにとって、エヴァンゼリンは、軍のどの夫人よりも可憐でつねに優しい微笑をたたえ、スミレの花のようにミッターマイヤーの隣に寄り添うのが相応しい、理想の女性像だった。
ミッターマイヤーの周りにあるもの、その愛するもの全てが、バイエルラインの目にはかけがえのない幸福のピースに映った。
それらは清らかで淡い色彩で描かれた完璧な絵画の一部であり、その風景は理想郷だった。

彼の思い描くミッターマイヤーは、決して間違った判断をくだす事はなかった。
自分よりはるかに明瞭にものごとを見極め、率直で透明な判断力の持ち主だと思っていた。
だが、時がたってもバイエルラインの中で違和感は消える事はなかった。


ロイエンタール元帥が反逆の罪に問われたという報を聞いたとき。
バイエルラインは、初めてあれほど取り乱したミッターマイヤーの姿を見た。
周囲の声に耳をふさぎ、力なくうなだれ、道理にあわぬようなことをつぶやくミッターマイヤーを初めて見た。
その姿に、バイエルラインは自分うちから剥がす事ができなかった直感が正しかった事を確信した。

……見えていないのではない。
……この方は、見ようとされないのだ。

子供のような純粋な瞳、あれはどこかすがりつくような色合いではなかったか。

反逆に問われた親友をかばおうとして、かえってビューローにたしなめられるミッターマイヤーは、とても帝国の誇る勇将に見えぬほど頼りなげで、迷い子のようだ。
おそらく自らの非を理解しながらうまく受け入れる事ができないのだろう。
そこにいたのは、完璧な聖像などではない。

バイエルラインの中のミッターマイヤーは、急に熱を帯びた、手触りのある、実体のあるものに変容した。

……この方は絵画の中の人物などではなく、形を持った人間なのだ。
完璧でなく、間違いをおかし、弱さをさらけだし、人前で泣いたり笑ったり、思い通りにならぬ事にあたり、悲しみにうなだれる、ただの人間。
見たこともない人物を見るように、バイエルラインは呆然とミッターマイヤーを見た。
幸福の象徴のように見えていた澄んだグレイの瞳が、
湖に霧がかかるようにが悲しげに曇り、蜂蜜色の髪にふちどられた輪郭が思いのほか小さく見えた。

不意に、バイエルラインは胸が苦しくなった。
こんなミッターマイヤーは見たくない、いつでも幸せの中にいてほしい、気持ちのよい笑顔を見せてほしい。
雨に打たれた花のようにうなだれているミッターマイヤーを、バイエルラインは抱きしめたくなった。
手の届く場所にいる人、手を伸ばせば触れることのできる人。
ミッターマイヤーは、バイエルラインだけの、大事な人だった。

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