砂の城 5

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皇宮の離れの一室で、小さな木の椅子に座ったフェリックスは、そろえた膝に手を置き、ただじっと床を見つめていた。

やがて、父が部屋に入ってきた。
いつも父と共にいる部下のビューローと、宇宙艦隊副長官のバイエルラインを従えていた。

だがフェリックスは身じろぎもせず俯いたままだった。
父の顔を見ることができなかった。

「いえご子息はいつもは御行儀がよくて、子供たちのお手本になっていまして……はい、でも、男の子は少しぐらい腕白な方がよろしいかと……」
騒ぎを発見した侍従が、言い訳するように父に必死に
追従を言う。

「……フェリックス、どうした? 訳を話してごらん?」
目の前に、膝をついてフェリックスと同じ視線の位置でのぞき込んでくる父のグレイの瞳があった。
フェリックスは頑なに下を向き、彼の保護者と目が会うのを避けた。
こんな情けない自分を見られたくなかった。
目の奥がつんと痛くなり、熱いものがこみあげてきて、口を引き結んだ。

やがて父は小さく苦笑し、そっとフェリックスの肩に手を置いた。
「わかった、おまえが言いたくなかったら、何も言わなくて良い」

思いがけない言葉に、呼吸が止まる。
フェリックスの目に涙があふれてきた。


主席元帥は、すでに息子の喧嘩相手の青年たちからの事情聴取をすませていた。
子息の暴行を隠蔽したなどと思われては、ミッターマイヤーとしても黙ってはおれない。
そうでなくとも自らも部下も厳しく律し、軍や政府の人間は民間人を守るべき立場なのだからと息子に教えこんできた彼としては、どんな理由があろうと息子のやったことは解明しておかねばならなかった。

もっとも、青年達はみな這い蹲るようにして恐れおののくばかりで、喧嘩の誰も理由を言おうとはしない。
子供相手とはいえ一方的に殴りかかられたのだから、軍人をも恐れぬ抜け目ないフェザーン人なら詫びのひとつも求める所を、何とか有耶無耶にしようと拝み倒してくるのだから、向こうによほど都合の悪い引け目があるに違いない。
向こうが訴えでた訳でもないのだから、これは理由をつつかぬ方が得策だろうとあたりをつけたミッターマイヤーは、この件で皇宮での仕事の口を失うものでないと保証してやってから、青年たちを早々に家に帰していた。

このような訳で、彼は息子からもその理由を詮索する気にはなれなかった。
我が子ながら聡明で、屈託ないように見せながら、場をわきまえすぎるほどわきまえるような所がある息子が、民間人に理不尽な事をするとも思えなかった。



「父さんはおまえが理由もなく人を傷つけるとは思っていないよ。喧嘩をやるなら思い切りやればいいさ。でも、相手は皇宮に働きに来ていた街の人なんだ。もし何か事情があったとしても、おまえの方が我慢しなければいけない立場なんだ、わかるだろう?」

父はフェリックスの両肩の手を置き、噛み砕いて言い聞かせるように、ゆっくりと喋った。
父の口から自分を無条件で信用してくれる言葉が出た、それだけでフェリックスは胸がいっぱいになり、息が苦しくなった。


だが、その場にいた別の少年が一言放った瞬間に、場の空気は一変した。
彼は先ほどの件のときフェリックスと一緒にいて、事情を聞かれるために呼ばれたのだ。

「……あ、あの、僕、理由を知っています」
おずおずと、善意から少年は口を開いた。
「……さっきの人たち、フェリックスのお父さんのこと、ソウヘキの片割れを討って権力を手に入れたって………だからフェリックスが怒るのも当たり前で……」

その場の大人達が凍り付き顔色を失うのと同時に、フェリックスは椅子を蹴り、躍り掛かるようにその少年に殴りかかった。

侍従が慌てて走っていって少年の口をふさぎ、手近にいたバイエルラインがその長身でフェリックスを制止する。
フェリックスは自分を押さえているバイエルラインにに向かい「離せっ」と叫んだ。
必死に首を巡らせると、父の大きく見開かれた目が、驚愕の色を浮かべてフェリックスを見つめていた。

……父さんに知られた……!

全身の血が逆流するような激しい憤りが、フェリックスの中から噴き出した。
こんなみっともない姿、父には絶対に見られたくなかった。

父にだけは、知られたくなかった。
あのような卑しい、悪意に満ちた、ひねくれた物の考え方をするような人間がいる事。
父の事を何も知らぬような、父がどれほどフェリックスを慈しんできたか、どれほど休む間もなく国に尽くしているかを知らぬような者が、父を侮辱している事。
全てがフェリックスには許せなかった。
冷静を装おうとしても我慢ができずに、涙がこぼれた。


取り押さえている腕がゆるんだ隙に、フェリックスは部屋を飛び出した。

「フェリックス!」
父の声が、どこかで遠くから聞こえていた。




庭園の片隅、よく少年たちが侍従たちから隠れて遊んでいた芝まで全速力で走ってくると、フェリックスはその場に倒れ込んだ。
すがりつくように青い芝を握りつぶし、歯ぎしりした。
全身の震えが止まらない。

……父さんに知られてしまった……。

自分が何を言われようと彼は平気だった。
自分に向けられる視線など気にならないし、熱量のない感覚しか持てなかった。
だが、父を侮辱することだけは絶対に許せない。
そのためなら、相手を殺す事も厭わないと思った。
何も知らない人間達が、ねじ曲がった目で父を見るのが許せない。
父がどんなにかばおうと、フェリックスは青白い炎のように、あの青年への憎悪を消す事ができなかった。

こんな激しい感情、突き動かされるような情動が自分の中にある事に、幼いフェリックスはおののきながら、どこかでこの感情が当然のことのようにも感じた。
父を侮辱するもの、傷つけるものは絶対に許さない。

押し殺すような嗚咽を漏らしながら、フェリックスはまだ小さく無力な手で何度も地面を叩いた。
もし自分がもっと大きく力があれば、あんな奴らは絶対に許さないのに。



涙がだんだん乾いてくると、効き目の遅い毒が徐々に体内にまわるように、おぞましい言葉を脳が咀嚼しだした。

………命令とはいえ、長年の親友を討つなんて……
………あの人が出て行かざるおえなかったのさ……
………お人好しにも反逆者の子供を育てて……


母といる時はあれほど幸福に包まれているような父が、なぜ時おり悲しげな顔をするのか。
父を悲しませているのは、誰なんだろう。
自分は父にとって何なのだろう。
父を本当に傷つけているのは……?




微風が木々を揺らし、さざ波のように芝をそよがせる。
まるで永遠のような時間が過ぎたような気がした。

芝を踏む足音がする。
「……フェリックス……」
懐かしい声が、彼を呼んでいた。
父の優しい声が、絶望に沈んでいたフェリックスをゆっくりと呼び戻す。

「さあ、帰ろう」
フェリックスの側まで来ると、父は若い兵士のように芝の上に腰を降ろした。
温かな掌がフェリックスのダークブラウンの髪に差し入れられ、くしゃくしゃと撫でてくれる。
顔をあげると、父は曇りもない微笑で言った。

「ありがとう、父さんの名誉を守ってくれて」

父の笑顔は胸がしめつけられるようで、それがどこかぼやけているのが不思議だった。
気がつけばフェリックスの青い瞳に、また涙があふれていた。
フェリックスは夢中で父の膝にすがりつくと、父はただゆっくりと髪を撫で、さするように背中を撫でてくれた。
「父さんはおまえがいてくれて、本当に嬉しいよ」
乾いた土にしみ込むように、孤独な心に言葉が染み込みんでゆく。
確かな存在を確かめるように、フェリックスはきつく父に抱きついた。
すると父はもう一度微笑んで
「さあ、帰ろう、な?」と、フェリックスを抱きしめてくれた。
それきり父は何も言わなかった。


……この人を守るためなら自分は何でもする。

あの日、狂おしいほどの木々の緑の匂いの中、フェリックスは確かに激しく幼い感情でもってそう誓った。

……この人を傷つける者は絶対に許さない。
それがたとえ誰であっても。
この人の笑顔を守るためなら、自分は何でもできるだろう。
 
 

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