空中庭園 1

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オスカー・フォン・ロイエンタール少佐と、ウォルフガング・ミッターマイヤー少佐が、国務尚書リヒテンラーデ侯の執務室に呼びつけられた時、軍の多くの同僚達は、彼らがこっぴどく叱責され、何らかのペナルティを与えられるものと思いこんでいた。
謹慎、減給、場合によっては降格処分もありえる、と。

先日のパーティーの警備を命じられたこの二人が『やらかした』事は、すでに軍内部では知れ渡っている。
それだけ二人の動向が、将校クラスから下級兵士たちまでの間で注目され、口にのぼっている証拠である。
それぞれ25歳と24歳のロイエンタールとミッターマイヤーは、ある時は若き俊英として、そして一部では上層部が扱い辛い問題児として、軍でもけっこうな有名人なのであった。

ところが数時間後、オーディンの軍庁舎の同僚たちに漏れ聞こえてきたロイエンタール、ミッターマイヤー両名の「処分」は信じられないものだった。
なんと、皇帝陛下よりのお褒めの言葉と昇進の内定を賜ったというのである。
誰もがぽかんとなって、最初は誤報ではないかと疑った。
それが掛け値なしの事実と確定すると、彼らをひいきにする者からは安堵の声が、やっかむ者からは上手く取り入ったと僻み混じりの声が兵舎中で喧しくなった。




リヒテンラーデ侯の部屋を辞去し廊下に出たミッターマイヤー少佐は、少年のような顔に、憮然とした、いかにも不本意な表情を浮かべていた。
共にリヒテンラーデ侯の執務室から出てきたロイエンタール少佐は、見るからに憮然としている僚友を見やって、口元にうっすらと笑いを形作っている。


どんな感情も明快に顔に表すミッターマイヤーとは対照的に、下級貴族出身のロイエンタールは常に涼しげであったが、洗練された立ち居振る舞いのはしばしにどこか凡人とは違うとでも言いたげな雰囲気がにじみ出ている。
それもそのはずで、彼は黙って立っているだけでも目を惹き、妙な威圧感があった。
堂々たる長身と彫像のような端正な顔つき、とりわけ左右の色の違う瞳は、稀少な美しさを彼に与えたが、同時に、気取った、顔色の読めない計り知れない男という印象ももたらした。

ところが、このロイエンタール少佐が、平民出身のミッターマイヤー少佐と一緒にいる時だけは別人のように、近寄りがたい剣呑さや倨傲が影を潜め、少し冷笑癖はあっても、普通につきあえる男に変貌する。
その意味でもこの二人は、セットで有名人となっていたが、もしそのことを二人に言えば、どちらも全力で否定にかかってくるだろう。
それほどこの二人の気質は正反対であったし、本人たちもそのことを認めていて、なぜ二人でいつも磁石のS極N極のように一緒にいるのかサッパリわかっていなかった。




そんなミッターマイヤーが、とても皇帝陛下からお言葉を賜る栄誉に浴したとは思えぬような、しょげた姿をしている。
部屋から出ても落ちつかなげに足踏みをし、お手上げとでもいうような顔でため息をついた。

ロイエンタールは腕を組み、その様子を面白そうに横目で眺めていた。
彼がこの生真面目な僚友の素直すぎる反応をいちいち記憶の中に書き留め、酒の席やら女性たちとの戯れの会話で肴にするのは日常茶飯事であった。
注がれる観察されるような視線に気づいたミッターマイヤーはロイエンタールを見上げ、色の違う双眸に浮かぶからかいの色を瞬時に見て取った。
見る見るミッターマイヤーの頬が赤くなり、透き通った瞳に稲妻のような閃きが走る。
「何を笑っている」
「いや別に」
ごまかそうとすると、ミッターマイヤーの頬の赤みがますます増し、大きな灰色の目がさらに見開かれた。
ロイエンタールはこんな風な、ミッターマイヤーが本気で怒った時の顔が好きだ。
その瞳に宿るのは、新しい星が生まれるときのような、一途で清新な光だ。
もっと怒らせてやりたくなって、ロイエンタールはおもむろに、自分より低い位置にある僚友の耳元で囁いた。
「そう怒るな、このカードを引いたのは、お前なんだぞ」




事の起こりは数日前、事もあろうに、この二人に命じられた皇宮のパーティーの警護である。

そんなのは星の数ほどもいる親衛隊やら憲兵の仕事であるはずなのだが、テロや要人暗殺が平気で横行している昨今を見るに、畑違いの軍から借り出さねばならぬほど、宮廷中の、いやゴールデンバウム王朝そのもののたがが緩んでいる、ということなのだろう。
とにもかくにも、国務尚書リヒテンラーデ侯の命とあっては、一介の少佐に断れるはずもなく、二人は退屈で何の実りもない仕事につくべく、ノイエ・サン・スーシに向かった。

本来なら、ロイエンタールは、こうした瀟洒な社交界の申し子的存在であった。
長身を軍服で包んだ神秘的な貴公子は、否が応でも女性たちの視線を集めはしたが、賓客として招かれたわけでもなく、如何せんこれは仕事である、女性たちの相手をするわけにはいかない。
一方のミッターマイヤーといえば平民育ちで、こうした場所には出入りした経験がほとんどなく、そうした弁えもない。
忠実な兵士として命令されればどんな任務も精励刻苦勤め上げるが、戦場とは勝手が違うこの場では、彼の持てる力の一割も発揮できない。
この場にも、いつものようにおさまりの悪い蜂蜜色の髪を洗いっぱなしのままやって来て、呆れたロイエンタールが梳かしつけてやる始末であった。


その夜は、ある者にとっては面白い…そしてまたある者にとっては悪趣味な趣向が待ちかまえていた。

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