青二才について




宇宙にいれば巡る季節も関係ない。
どれだけ時を経ても、見えるのは漆黒の闇と無数の星々。


「閣下、まだお休みになりませんか」
ノックをして部屋に入ったバイエルラインは、そこで足を止めた。
深夜をとうに回ったところである。
そろそろ寝室に下がろうとした時、彼の上司の執務室からまだ灯りが漏れているのを発見した。
「閣下……?」
蜂蜜色のふわふわとした髪が、執務机に突っ伏している。
「どうされました……?」
近寄っていくと、ミッターマイヤーはすやすやと寝息を立てていた。
宇宙艦隊の司令官ともあろうお方のあまりに無防備な寝顔に、バイエルラインは虚を突かれる。
机の上には、ミッターマイヤーの少し崩れた文字でサインをしてある書類が書類が散乱していた。
平時ならとっくに家に戻ってベッドにいる時間であるが、宙にいる時は時間の概念がなくなる。
この愛すべき上官は、いくら仕事をしても平気なのだ。
時間を忘れて働き続ける。
困ったのは、ご本人に無理をしているという自覚症状がない事で、これで自分ではしっかりしていると思っているのだ。
健康な人ほど、病に気を使わないというアレだ。
戦場ではあれほど見事な駆け引きを見せ、チェス盤の上の駒を柔軟に動かす名手のような動きを見せるのに、こと自身の事となると、おそろしく無頓着なのだ。


もっとも、帝国軍全体から見ると、ミッターマイヤー艦隊はみな同じような症状に見えるらしい。
かく言うバイエルラインも四六時中仕事の事を考えているし、地上にいれば休みの日でも平気で出勤する。
この艦隊は、トップに君臨するミッターマイヤーに似て若い。
停滞も倦怠も知らない。
皆、建国の理想に燃え、気概に満ちている。
そして彼らの上司は、しっかりと働きを評価してくれる。
明朗で分け隔てのないミッターマイヤーの下に、人は集まる。
家族より恋人より、仕事に熱中してしまうのは仕方のない事なのだ。


だが、自らは凡庸である事を悟っているバイエルラインは、ミッターマイヤーのこの自身に対する強さに、危ういものも感じている。
いつかポキンと折れてしまうのではないかという怖さ。
なぜミッターマイヤーほどの人間が、そうした用心を怠るのか……そもそも用心という言葉を知らないように、無防備に全てを晒す事ができるのかが、彼には理解できなかった。
そして、そこがミッターマイヤーに魅了されている理由であるのだ。

……閣下をお守りせねば。
それはいつしか、バイエルラインにとっての堅い信念のようなものになりつつある。
しかし、ミッターマイヤーにそうした思いを抱いているのは何も彼だけでなく、他にも大勢いる。
この艦隊全員が同じ気持ちであるし、親友である金銀妖瞳の提督もそうだ。
だからこそミッターマイヤーは、これほど自身の安全に無頓着でも平気なのかもしれない。

「閣下、このようなところではなく自室へお戻りください。お風邪を召しますよ」
ためらいがちに声をかけると、バイエルラインよりはるかに小さな背中が揺れた。
「無理な体勢で寝ていると、お体に障ります」
揺り起こそうと背に手を当てるが、それもしのびない。
何か夢を見ているのだろうか、前髪からのぞく薄い色の睫毛が微かに動く。
宙では連日の激務でろくに寝てもいないのだろう。
「閣下……」
バイエルラインは小さく息をついて、明るいたんぽぽのようなミッターマイヤーの髪に触れた。
それは、バイエルラインの無骨な手の中で綿毛のように柔らかな手触りだった。
暖かな体に、触れてみたいと思う。
敬愛する上司を守りたいと思うが、自分ではなかなか役にたてないのがもどかしい。
もっと直接的に触れて、抱きしめて癒してやりたいと、いつしか考えている。
ミッターマイヤーが、くすぐったそうに眉をくしゃりと動かした。
バイエルラインは慌てて手を引っ込めた。
「閣下!」
大声で事務的に呼ぶと、ミッターマイヤーが「んんっ」と鼻から抜けたような声を出し、ぱちっと目を開けた。
「………何時だ?」
「こんな時間であります」
ぼーっとしたまま体を起こして目をこすっている上官に、机の上の時計を見える位置まで移動させる。
「んーー……」
まだ夢うつつのミッターマイヤーは、そのままがくっと頭を垂れた。
「閣下、お部屋はすぐそこですっ、ちょっとだけ起きてくださいっ」
バイエルラインが懇願すると、ミッターマイヤーは薄く目を開けて少し笑った。
「卿は口うるさいなあ……」
「そういう問題ではありません、ほら、お立ちください」
肩を支えて立たせようとすると、ミッターマイヤーはだらんと力のない腕を伸ばした。
「んーー……めんどくさい……連れてってくれ」
「はい?」
「頼む……」
舌っ足らずな甘えた声を出されて、バイエルラインは脳髄が溶けそうになる。
「小官でいいんですか?」
「卿しかいないだろう……」
「で、では、失礼します」
小柄な上官の体を横抱きに抱き上げる。
しなやかな筋肉の感触が、堅い軍服の生地越しにバイエルラインの腕に記憶される。
心臓が跳ね上がりそうで、そのまま棒立ちになっていると
「……落とすなよ?」
ミッターマイヤーはバイエルラインの首に腕を回し、口の中でつぶやいた。
「はっ、はいっ」
ミッターマイヤーは目を閉じ、また寝息をたてはじめた。
少年のような顔でバイエルラインに全てをゆだねている腕の中の体をしっかりと抱え直す。
あどけない寝顔を眺めていると、胸の奥に切ない甘酸っぱさを覚え、思わず蜂蜜色の前髪に唇で触れた。
……これくらい、いいよな?


彼の日常には、たまにこんな役得もあるのだった。

- end -

2013-01-06