渚にて




遙か彼方に水平線が広がっていた。
目前にあるのは天頂の日射しと、空と海の青しかない。

「すごいな、まるで成層圏の色だ」
初めて目にする、圧倒的なマリンブルー。
水の分子が創りだす鮮やかな光景に、ミッターマイヤーはすっかり心を奪われている。
「この星の海は、人が泳ぐのに最適な濃度らしいからな」
強い紫外線をサングラスで遮っているロイエンタールは、前を行く親友が砂浜に残した足跡を辿る。
二人とも、半袖のシャツとハーフパンツ姿のラフな格好で、くつろいでいた。
最初はおっかなびっくり砂浜を進んでいたミッターマイヤーは、やがてしゃりしゃりとした感触が気に入ったのか、スニーカーを脱いで裸足で灼熱の砂の感触を楽しむようになっていた。
無防備にさらされる素足に、ロイエンタールの目は惹き寄せられる。
波打ち際まで進むと、ミッターマイヤーは水に足を浸し、海水の冷たさに驚いて子犬のように大声をあげた。
蜂蜜色の髪が、空の青に溶け込むように揺れる。
追いかけて来る波をよけるミッターマイヤーの姿が、映画のワンシーンのように太陽に映える。
こんな親友を、休暇期間中ずっと独占するのに成功したのだ。
ロイエンタールは深い満足感に浸った。
「本当に、何も遮るものがないんだな」
ミッターマイヤーは額に手を当て、永遠を眺めるように水平線に目をこらす。
サングラスのままロイエンタールは横に並んだ。
「この星は最近発見されたばかりでな。保養地として開発されている最中だ。まだ揃わないものも多い。不自由かけたらすまない」
「この景色だけで十分さ」
普段の疲れをそぎ落としたように、ミッターマイヤーは子供の顔で海を見ていた。
「しかしまだ開発中なのか、どうりで誰もいないと思った」
二人しかいないビーチを見回すミッターマイヤーに、ロイエンタールはこともなげに言った。
「ああ、それは貸し切ったからだ」
「貸し切り……?」
「星全部ではないがこの辺りの一区画だな」
「一区画って……」
四方を見ても全くの無人だ。
後ろには、間新しい白いペンキが塗られたコテージと棕櫚の木が南風に揺れているだけ。
淡いグレイの瞳が驚愕したように見開かれ、自分とは考えも及ばない感覚の持ち主に向けられた。
全部、この小柄な親友のためにロイエンタールが用意したのだ。
美しい風景も、急ピッチで創った海辺のコテージも。
ロイエンタールは、照れ隠しのようにぶっきらぼうにいいわけした。
「俺たちがこの星にいると知れたら夜毎の晩餐会やパーティーへの招待が引きも切らなくなるだろう。わずらわしいつきあいはごめんだ」
「お呼びがかかるのは卿だけだろう」
「出かけるなら卿も一緒さ」
「俺は社交界に知り合いなんかいないさ」とミッターマイヤーは口を尖らせる。
この可愛らしい親友を見せびらかしたいという気持ちと、誰にも見せたくないという独占欲がない混ぜになっている自分に、ロイエンタールは気づいた。
だがさしあたって、これ以上親友を驚かせないために、ロイエンタールは白い砂はわざわざ別の星から運ばせた事は黙っておこうと誓う。
「なんだ、卿はパーティーに行きたいのか?」
「違うよ」
「少し行けばリゾートホテルがある。カジノもショッピングもできるぞ」
「ロイエンタールは行きたいのか?」
「いいや」
「俺も。せっかくの休みだから、騒がしい場所よりのんびり過ごしたい」
ミッターマイヤーは何気ない口調だが、二人の時間を選んでくれた事で、ロイエンタールの心に甘い歓喜が広がってゆく。
「でも……」
「ん?」
「何から何まで世話になってしまって……これでは……」
口ごもりながら切り出され、急に不安にかられたロイエンタールだったが、ミッターマイヤーらしい遠慮に顔が綻んだ。
「なんだ、そんなこと気にしないでくれ」
「そんなわけにはいかんよ」
「……だったら礼をしてくれ」
急に悪戯を思いついてロイエンタールは笑う。
「もちろん。ああ、でもすぐにというわけにはいかんな……」
ミッターマイヤーは空を見上げ、生真面目に自分の預金通帳の中身を考えているようだった。
「礼は現物でいただく」
「ん?俺はそんなに高価なものは持ち合わせていないが」
ニヤリと金銀妖瞳が笑い、自分を指さした。
「キスしてくれ」
「はあ?」
「卿から」
強い日射しの中、ミッターマイヤーは全ての時間が止まってしまったようにぽかんとしている。
「できないのか?」
ロイエンタールが悪戯に追い打ちをかける。
「そ、そんな事は……」
「誰も見ていないのだからいいだろう」
「う………」
友情のキスを求められている訳ではないことは、ミッターマイヤーも重々承知している。
迷ったあげく砂に足を踏み出すと、ロイエンタールの肩に手をかけて背伸びをした。
ごつんとぶつかるような音がして、不器用に唇がぶつかった。
途端にロイエンタールは大声で笑い出した。
「こんなに色気も何もないのは初めてだ」
「ひ、人が悪いぞ、そっちがさせたくせに!」
火のように顔を紅くしたミッターマイヤーが睨みつけるのをよそに、ロイエンタールは笑い続けた。
「そんなに笑うなっ」
「卿は本当に可愛い奴だな」
からかわれている事に腹を立てたミッターマイヤーが、突っかかってくる。
その手を取って引き寄せると、ロイエンタールは小さな体を腕の中に収めた。
「離せよ、もういいだろう」
不貞腐れている親友の太陽の色の髪に、慈しむように唇を押し当てる。
「離さない」
抱きしめて優しい口づけを落とす。
舌で口内を溶かすようになぞると、ミッターマイヤーの吐息が熱くなる。
このまま空と海の青に溶けだしてしまいそうだ。
「夜まで待てない」
休暇は短い。
時を惜しむようにロイエンタールがせっぱ詰まった声で囁くと、腕の中のミッターマイヤーの体から力が抜けていった。

- end -

2012-01-05