Virgin Mary



目覚めると、部屋には溢れんばかりの光に満ちていた。
手を伸ばしても、傍らには誰もいない。
一人では広過ぎるベッドで、ミッターマイヤーは、彼にしては緩慢な動きで、光を遮るようにシーツを目元まで引き寄せた。
東側の大きな飾り窓から射し込む太陽の具合から、こんな時間まで寝ていて良いのかという頃合いである事が解る。
今日一日休みで、妻にも友人の家で過ごすと断ってきたからこそ、寝過ごせた時間だ。
もっともここは、時間の感覚など無粋に感じられるような豪奢な部屋であった。


体中に、倦怠がまとわりついていた。
情事の跡を示す寝乱れた夜具を見るのは、いまだに馴れなくて、しばらく目を開ける気にはならなかった。
くしゃくしゃに丸まったシーツが、次に来た時には何もなかったように真新しいものに取り替えられているのは、いつも不思議な心地がする。

ふと、このベッドに、今まで何人の女が寝たのかという考えが頭に浮かび、そんな事を考える自分を恥じながら、すがるようにシーツをきつく掴んだ。
常に明快であろうと自分を律してきた意識とはかけ離れた物憂さが、さざ波のように微かに泡立ち続けている。
こうしていると、ロイエンタールがなぜあのように女達を相手にするのかが、少しだけ解る気がする。
体を繋ぎさえすれば、何かが変わるような気がするのだ。
たとえそれが幻想だとしても。

ロイエンタールも、とっくに幻想だと察しているのだろう。
彼が常に孤高を保っているのは、愛情を必要としないからだと、ミッターマイヤーは気がついていた。
あれほど愛を捧げられながら、ロイエンタールにとってそれは少しも心を動かすものではなかった。
その気になりさえすれば、彼ほど多くを持っている者はいない。
王者のような美しい容姿も、女達からの愛情も、この部屋のような贅を尽くしたものも全てロイエンタールは易々と手に入れる。
しかし、彼はその何一つ必要としていなかった。
彼女たちがどれだけ泣いたか、ロイエンタールは考えた事があるのだろうかと、ため息混じりに思う。

そのくせ、ミッターマイヤーを羨むように、玩具をほしがる子供のように見る。
その視線がたまらくなって、体を投げ出してしまった事が、正しかったのかどうかはわからない。
体を繋げば、何かが変わるような気がした。
互いに一番素直になれるのが、そうした時間なのは確かだ。
ロイエンタールの手で乱され、意識が混濁しながら切れ切れに彼の名を呼ぶ時、色の違う瞳が幸福そのものの光彩を放つ瞬間がとても好きだった。
思わせぶりな会話も、気を引くような仕草もそこには介在しない。
ただ、それだけのはずだったのに。


なぜロイエンタールにとって自分だったのかは、今も解らない。
互いに、互いしか選べない環境にいたわけではないのだ。
ロイエンタールは、常に大勢から望まれていた。
「卿が俺を選んだんだ……」
放心したように、ミッターマイヤーは呟いた。
何もかも持っていながら、救われない顔をして、ありもしないものを追い求めている彼。
受け止めながら、行き場を無くしたと感じたのはいつだったか。


……卿は正道を行く者だ
折にふれ、ロイエンタールは氷質の笑みを浮かべ、ミッターマイヤーに言う。
だが、その言葉は、逆に彼が闇に選ばれた人間であるかのような誇りに満ちていた。
純度の高い闇の美しさに、誰でも惹かれずにはいられないのと同じように。
正道を行くから、強いからと、何を言っても、どんな事をしても、ミッターマイヤーは傷つかないと、きっと彼は思っている。
ロイエンタールの中にいる自分は、まるでガラスケースに入った偶像のようなものなのだ。
偶像には心がないと、彼は思っている。
……俺にだって心はあるんだよ。
その声も、きっと彼には届かない。
誰も必要としない人。
いずれにしろ、ミッターマイヤーも、ロイエンタールを選んだのだ。
だから、微かな声でも呼び続けなければならない。
いつか、声が枯れても。

階下から確かな足音が聞こえる。
やがて、部屋の主が戻って来るだろう。
何事もなかったかのように、おはようと言うために、ミッターマイヤーはゆるゆるとだるい体を起こした。
複雑な模様の硝子が、朝の光を乱反射させる眩ゆさに、薄灰色の瞳を一瞬すがめる。
強くあらねばと懸命になって、気がつけば戻れない所まで来てしまった。


眩しい部屋で、一人のベッドで、膝を抱えて、行き場のない子供のように、少し泣いた。
ここは、まるで光の煉獄です。
声は届かないのです。

- end -

2012-10-24