原罪



夜着一枚をひっかけて、ロイエンタールはあけ放った窓から何もない闇を見ていた。
風一つく、静寂に満たされた夜だった。
先ほどまでの情交で火照っていた体が夜気に晒され、気持ち良い。
夜行性動物のように、闇の中でグラスにブランデーを一杯注いだ。

部屋の奥のベッドでは、ミッターマイヤーが、ロイエンタールが刻印した激情の名残りを体中に散らせたまま、無防備な姿で寝息をたてていた。
安らかな眠りを妨げるつもりもなく、誰にともなく虚空にグラスを向けると、一気に飲み干す。
寝付けないのは、傍らにいる人に、他に帰る場所があるからだ。
こんな熱さえ知らなければ、思いもよらなかった執着だった。


たわむれの口説き文句と、冗談のような求愛から、関係は始まった。
友情の延長線上にある、互いの親愛を確かめる手段であったはずだ。
ミッターマイヤーは、あっけないほど素直に腕に屈服した。
恋の意味も知らない少年のような顔をして、ロイエンタールの腕に抱かれたのだ。
真っ白な夜具に蜂蜜色の髪が散り、張りのある体を抱いて陶然となった初めての夜をいまだ夢のように覚えている。
ロイエンタールがずっと相手にしてきた高貴な美しい女と比べれば、ミッターマイヤーは無骨で、野生のままの白百合の蕾のように堅い手触りだった。
ミッターマイヤーには、少しも卑屈さがなく、グレイの瞳の中の強い光は失われなかった。
夜を重ねるたび、羞恥にはにかんだ顔をしても、どれだけ苛んでも、汚しても、欲情に潤んだ目でロイエンタールを求めても、翌日には雨に洗われた花のように清浄に見えた。
清々しい明眸は曇る事がないように思われた。


遠くには、黒い森が広がっている。
冷え切った手で、ロイエンタールは髪をかきあげた。
徐々に潮が満ちて水位が上がるように、ゆっくりと溺れていったのだと思う。

彼の前で、ロイエンタールは鎧をかなぐり捨てたようになった。
ミッターマイヤーは驚くほど寛容で、すべてを受け入れる。
駄々っ子のように性急に求めても、気を引くように意地の悪いことを言っても、それで言い合いになっても、最後は受け入れるのだ。
ロイエンタールの素直じゃない部分を、優しく叱っているような顔をする。
あどけない子供のように笑うかと思えば、もののわかった大人の女のように寛容にロイエンタールの求めに応じた。
ミッターマイヤーは、ロイエンタールにとって、憧れと許しを同時にくれる存在だった。


だが、いつからだろう、その微笑みが向けられると苦しくなってきたのは。
ミッターマイヤーは同じように、同僚や部下たちに笑いかける。
木々の葉を揺らす温かな恵みの雨は、大地に等しく降るのだと、気づいてしまった。
一番近くにいて、触れられるのは、自分だけだという思いはある。
だが、永遠に手に入らないものもあるのだ。
全てを欲して、求めても、果てはない。
蒼茫とした闇の中、ベッドに戻り、確かめるように傍らの熱に手を伸ばす。


自分は、生まれてきてはならない子だったのだ。
その言葉は、毒に馴れるために毎日少量の毒を体に入れる高貴な習慣のように、ロイエンタールの中にゆっくりとまわり、巣喰っていた。
もはや出自の問題ではない、それは彼の信念であり、暗い闇にしか惹かれないように生まれついている事はある種の誇りとなった。
これが自分の生き方だった。
いつでもすべてを切り捨てられるように。
頭のどこかで、警鐘が鳴る。
常闇にいる自分に、執着など必要なかった。

なぜ、出会ってしまったのだろう、などと考える事は、もう無意味だ。
与えられた皮肉な運命を自嘲して、かぶりを振る。
闇に浮かぶ蜂蜜色の髪を、そっとかき抱く。
冷えた体が、熱をはらんだ体温と混じり合う。

ミッターマイヤーさえいなければ、こんな痛みも、焦がれる熱も、知る必要はなかった。
けれど、この甘い心地良い痛みを、無邪気な赦しを、もう手放せない事は解っている。
どれだけ求めてみても、果てがない。
生まれてきた事が罪なら、その罰は彼に出会った事だった。


夜は静かに凪いでいる。
ロイエンタールはひとりため息をつくと、腕の中の寝顔に口づけを落とした。

- end -

2012-10-24