エンゲージ




飾り窓を覆う小さなシェルターを開けると、無のような濃闇に星の海が広がっている。
人の手によって振り分けられるこの舸の時刻では、真夜中を過ぎていた。
隣にはミッターマイヤーが健康的な体を投げ出すように横たわっている。
ロイエンタールは、腕を伸ばして隣の温もりに触れてみた。


以前のように頻繁にというわけには行かないが、暇ができるとロイエンタールの元を訪れ、酒を飲んで、時々、抱かれて行く。
艦でも将校用のベッドは豪奢に広く、そこで二人は、遊び疲れた少年達のように、体を寄せ合って眠る。
それはいわば、宙での生活で熾りのように貯まる情欲を解放する手段で、あらかじめ役割の決まった芝居のように、幾夜も繰り返していた。
寝息をたてるミッターマイヤーの手に触れ、薬指の指輪をなぞる。
なぜこの関係が続いているかと言えば、ロイエンタールが何も奪わないからだ。
何も望まず、縛りもしない、純粋に刹那的なもので、次の約束もない。
ロイエンタールさえ手を伸ばさなければ、何も起こらない関係である。
酔いに紛れて抱き寄せると、ミッターマイヤーは微かにためらいがちな瞳で見上げ、小さな吐息の後、そっと目を伏せ受容する。
その時のミッターマイヤーの表情を、ロイエンタールはどうとって良いのか皆目わからなかったが、そもそも彼は他人の顔色など伺った事がないのだった。
いづれにしろ、役割を越えさえしなければ、この関係は永劫に続きそうだった。

こんな時、決まって思い出すのは、数年前、まだ二人がこんな場所にいなかった頃の事だ。

ミッターマイヤーが、貴族とのいざこざで営倉に監禁された事があった。
八方手を尽くしたが万策尽き、最後の手段として、同盟に亡命すら考えた。
すべてを捨ててしまっても構わないと思ったのだ。
誰も知らないに彼を連れ去って、二人で。
思いとどまったのは、ミッターマイヤーを縛る現実のため、薬指のリングのためだった。
あの時、有無をいわさずにすべて捨てて、さらっていたら、今頃どうなっていたのかと、ふと考える事がある。
替わりに二人は、ラインハルト・フォン・ミューゼル中尉に膝を折る事で、そこで彼らの運命は決まった。

救出した彼を腕に抱いて一部始終を打ち明けると、ミッターマイヤーは「同盟に? あのまま二人で?」と小さく笑った。

起こりえないと知悉している夢の話だ。
たまに、切なく微笑むミッターマイヤーの澄んだグレイの瞳をのぞき込むと、微かな痛みとともに思い出す、記憶の奥に残る小さな棘のような出来事だった。
二人だけ。
奪えそうだったのはあの時一度だけで、もう時は戻らない。
星明かりの中、隣の安らかな寝息と体温を抱きしめ、夢想してみる。
すべてを戒めるリングを指から抜き取って、窓の外に投げ捨ててしまえば、ただの金属の欠片に還って、塵芥とともに星の海を漂うだろう。
そうして薄く張った氷にひびを入れ、二人を壊せば、すべて終わる。
けれど、闇の中で失う事も何もできずに、どこにも動けずにいる。


手を伸ばせたのは、一度きりなのだ。
朝には醒める夢でもいいと思っていても。


今もどこかで、優しく責める声が聞こえる気がする。
……どうしてあの時、奪ってくれなかったの。

- end -

2012-10-22

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